美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2008/01/12(土) 倉敷にがおえエレジー 題103回
池袋も今は誰も出ていない。

しかし、この地は戦前、日本のモンパルナスと言われた如く、多くの画家が住みついていたのである。御大・熊谷守一を始め曽宮一念、鶴田五郎、安井曽太郎、牧野寅雄、石井鶴三等など、当時の美術名鑑にはこの辺りに住んでいた画家三十四人の名を記しているほどだ。


 余談だが石井はここでシュルレアリズムを基にした「美術文化協会」を設立するのだが、それに参加したのが、この倉敷の三橋健であった。しかし美校出の彼にとっては放蕩無頼、野武士的な彼等に疑問を感じ、それに戦時色が濃くなるにつれ返倉。大原美術館の館員になるのである。その三橋に絶縁状を送った石井も逮捕。結局、転向「エクゼターの反乱」みたいな戦意高揚画を描くのだ。

 このエピソードが象徴しているように戦争で日本のモンパルナスも霧散、故に駅周辺だけに限って云えば文化性も薄く、俺の知る限りでは大道似顔絵師が定着した事は知らない。

 ただ 昭和40年代、全国で似顔絵師が雨後のタケノコの様に出てきた頃、この池袋に宮本三郎に師事していたカクさんと云う男が似顔絵を絵描き始めるのだ。

そこへクリスチャンでアル中の滝氏。トラになって全国たいていのトラ箱を経験、トラ箱評論家の後藤君。定時制高校の美術教師の村田氏。それに例の放蕩絵師の宮ちゃん等集まってきたが、超高層ビル・サンシャインが計画される頃よりホームレスと共に姿を消す。

新宿も同じである。都庁の件で都市空間が整備されるにしたがって彼等は排除されていくのだ。


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