美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2008年1月
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2008/01/01(火) 倉敷にがおえエレジー 題94回
そうだ。確かトロン君も居ったような気もするが、彼はこの岡山出身で後「純粋単細胞的思考」という本をものにする。
読者はこのトロンと言う名で想起されるように、彼等は「宇宙食」と称してピリン系のハイグレランを焼酎とともに飲んでいるから、誰かが持ち込んできたラジカセにサンフランシスコ・サウンドでもセットされようなものなら熱狂的に踊り狂うのだ。

 その頃の人間は今の人間のように自分達だけの関係性に閉じこもり、精神まで管理された人間と違ってまだ人間臭かった。故にギャラリーもヒッピーのパフォーマンスに対してでも興味を示し、踊りの輪中に入って、自分も会社をドロップアウトしょうかと本気に迷っている奴も出てくる時代だった。

 思うにその頃が新宿の文化的な爛熟期だったのであろう。戦後の闇市時代からの庶民文化のパワーが、権力管理の圧力に潰され、根こそぎされていく最後の花を醇爛と咲かせていたのだ。


 さて当時の新宿には、ゴールデン街に闇市時代からのベテラン似顔絵師数名いたが、我々のやるのは歌舞伎町通りの入り口、大和銀行前であった。

 ところで何処でもそうだが、容易に商売はやらせて貰えない。何がしかの手続きがいるのである。俺の場合は清原天皇の紹介と関西へ来たおりには、我々の場所でやってもよい、という交換条件を出したからだ。とくに女似顔絵師を嫌うのは、女に客を持っていかれる危惧とその女の事でトラブルが発生する恐れで、ここは女人禁制の山なのである。


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