美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/09/07(金) 倉敷にがおえエレジー 題34回
それを聞いた彼女、カルチャショックもあったろうが元々、天衣無倣だ。即、ヤンとバニー島に行くのである。一ヶ月三万円で暮らせる島へ、神と民俗芸能の島へ。何も持って行かなくてもよいがチンポコと遺書が必要な島へ・・・

 さあ、仕事は終わり俺の魂胆の総仕上げだ。青い眼のヤン、ファションモデルのような淑恵ちゃん連れ喫茶店、商店街、K公園へと歩き回った。 俺にとっては水戸黄門の印籠、官軍の錦の御旗だ。いままでピュリタンのロバと後ろ指指していたT市民の驚きよう。また珍宝の先がキューンと痛むのだ。
 読者諸氏よ!この悲しき虚栄を理解せよ!栄華を極め尽くした老ソロモン王でさえ「バニティ、バニティ、オールイズバニティ」と絶叫したと言うではないか・・・・

2007/09/06(木) 倉敷にがおえエレジー 題33回
「トラ、トラ、トラ」とは真珠湾攻撃の際、艦上攻撃隊総指揮官・淵田中佐の「奇襲成功」の「ト連送」であり、それをどうして俺を呼ぶのか。
 ただ、日本の祭りをニガオエを描きながら歩いたのも俺が最初であり、スターのサンプルを大量に売り出したのもこの俺であり、ここ倉敷美観地区でニガオエをやったのも俺が最初であった。
 中国に「隗より始めよ」と言う諺がある如く、常に率先してやって来た。安手の「洞ヶ峠」は俺の気性に合わないのだ。故に「トラ、トラ、トラ」なのだと思っていたところ、淑恵通詞の言うことにゃ酔っ払いの大トラ、つまりトラの三乗からのニックネームと聞き、苦笑せざるを得なかった。
 ところでヤンの話しは絵を描いて貰えないか、との事である。なんでも今売っている絵はフランス人のマックから仕入れているそうだが、原価を大幅に値上げされ、その上マックらが商売している場所でやらないでほしい、と言われたそうだ。
 しかし、そんな事はどでもよい。俺には他に魂胆があったのだ。T市へ・・・ピュリタンのロバのごとく扱われているT市へ、この外人と美しい女を連れて行くと思うだけ涙が出るほど嬉しく、珍宝の先がキューンと痛むのだ。
 内容空疎の連中がブランド物を身につけたり、高級車を乗り回すのと同じ悲しい虚栄であった。

 深夜の宇高フェリーより、早朝の53号線をペンキを塗りたくったボロ車は走る。ピンク・フロイトをガンガン鳴らし、ウイスキーのラッパ飲みだから白バイの先導付きだ。
 ヤン君の恐れるのは出入国管理官であり、警官はそれほど恐れない。彼にすれば日本語を覚えない方が警官やテキヤに接するとき、便利である事を知悉している・・・・
 ところが俺の隠居所に入るなり「いきている!」と叫んだのには驚いた。あとで知ったことだが彼は全て「生きている」「死んでいる」この二つで用を済ますのだが、キャンバスと本ばかりの汚い部屋がどうして「生きている」のかと思っていると淑恵通詞がこう言うのである。
 「水道は水を悪くする、車は道を、女は男を悪くする」という格言があって、ここにはそのどれもが無いから「生きている」のだと。変な褒め方もあるもんだ。
 「日本は実に無駄なく全てが効率的に機能している国だと感心させられる。けれど何かそこにいて幸福になれない。日本全体が一つに閉ざされた密室で、そこには不思議と人間の生きている匂いが希薄である。まるで巨大な実験所に入れられたようで、ついに外の空気か吸いたくなる。それが東南アジア等に行くとホッとするだが、この部屋にはそれが感じられる」と又、いうのだ。なかなかオランダ人だけあって社交辞令の行き届いた男ではないか。
 そこで画家・ゲインズボロの絵が「生きている」との指摘ゆえ、その絵を二十枚ほど模写してやり、テキヤの親分・藤岡氏「俳優・琢也氏の弟」から貰っていた神農祭り帳もやると、絵を大量に印刷し、全国の祭りで売り捌くのだ。最盛期にはオランダより四・五名も呼び、捌かせ非常によく売れたものである。現在、ニュヨークでポルノ墨絵作家として活躍している赤陣平カッペイなどは「ピカソよりトラは大量に絵を売った!」と感嘆詞を奮発する勢いだったのである。

 さて淑恵ちゃんの話だが彼女は鹿児島・天文館通りの花屋の娘であったが英語を学ぶため東京へ。詳程は省くが南方特有のモンゴル型ではなく、白肌で瓜ざね顔の大陸ツングース系のの器量良しだ。彼女自身の述懐も先祖は薩摩焼で有名な沈寿官氏と同じく、秀吉の渡韓作戦時代に連れてこられたらしい。ただ世は美人を捨ておかないものである。何の機か失念したが銀座の高級クラブ「葡萄園」のママの眼にとまり、そこで働いていると常連の作家・井上靖氏に可愛がられるのである。美人もそうだが彼女の天衣無倣、性格を愛していたと思う。
 そこである日、銀座を歩いていると路上にチョークで絵を描き投げ銭を貰っている外人がおる。それがヤンだった理由だが開口一番「日本人は熱したフライパンの上でアヒルが踊り狂っているように見える。オランダでは労働は罰として、その人に与えられるものだが、日本人全体、何か罰を受けているのか」であった。

2007/09/05(水) 倉敷にがおえエレジー 題32回
作家・井上靖氏に可愛がられた淑恵ちゃん

 「踊るアホに見るアホ、同じアホなら踊らなソンソン」
 この歌は徳島阿波踊りであり、オランダのヤン、その愛人・淑恵ちゃんに始めて会ったのはこの地であった。
 何しろこの踊りは毎年百七・八十万人訪れる大祭で、大道ニガオエ師にとって仙台七夕に次ぎ稼ぎの宝庫となっている。
 故にここにか、仙台七夕に顔を見せない大道絵師は死んだか、精神病院あるいは刑務所に収容されていると言っても過言ではない。
 また阿波踊りの情熱的テンポがリオのカーニバルに似ているせいか、外国人ヒッピーも大勢集まってくる。
 まさにメルシー、タック、プレゴ、パラカロー、バクシーシ、ニイ・ハオ、それにドウモ等などが飛び交い言葉の大雑炊だ。
 はては「エライヤッチャ、エライヤッチャ」の渦中で甘過に達していくのである。
 ここにはもう、とっくの昔にベルリンの壁は取り払われ、三十八度線も、アパルトヘイトもなく、もしダダイスト辻潤が生きていたら「これこそコスモポリニックバンクェシェットだ!」と弾むような文体で書いてくれるだろう。
 その中でも突出したコスモポリタンはいわずと知れたヤンであって、観客より貰った一升ビンを回し飲みするのである。            そのあげくクラッカーを鳴らし、酒を飲み干すとガチャンと路上に叩きつけ、これがドイツのポータ・アーベント式祭りの礼儀だと澄ましたものだ。
 そして突然「トラ、トラ、トラ」と叫びなから俺に抱きつき人ごみの少ない所へ連れていく。無論、淑恵ちゃんも一緒だ。

2007/09/04(火) 倉敷にがおえエレジー 題31回
ここで乞食エカキの思うのは駅や言葉や医学だけでなく、どうしてエラスムスやスピノザの思想を移入しなかったのか残念で仕方がない。

 彼等の「隣人を愛せよ」という命題が巷にもっといきわたってたら、今度の戦争もまた違った形で推移したのではないのかと、云う妄想がオランダの風車のごとくクルクル回るのだ。
 読者の目クルクル回るだろう。
 倉敷のスカンク親父はカンカンだろう。
 ヒョッとすると酒を返せとも云いかねないので駆け足でヤンを南下させる。南へ南へ・・・


 南に下がると自然インドに行きあたる。
 そこでギンズバークがヒンズー教に没入したというベナレスに住んだが、どうも論理実証型のオランダ人にはしっくりこない。
 金も尽きる。
 今度はブラジルの奥地で砂金が沢山出るというので、かの地に赴くが失敗。
まさにピッピーとなれはて、西のヒッピーのメッカ・サンフランシスコのアシュベリーから、日本の新宿風月堂、京都アシュラム、徳島・阿波踊りで俺と相まみれる顛末だ。
 まさにヤンはワーグナーの歌う「さまよえるオランダ人」の典型だろう。
 ほかにも俺の「トラ・トラ・トラ」の名前の由来やヤンの愛人・淑恵ちゃんについて書きたかったが紙数が尽きた。
 酔いも醒め果てた。
 お互い命あらば次回が優曇華の幕開けだ。

 乞食エカキしっかりしろ。

2007/09/03(月) 倉敷にがおえエレジー 題30回
いわんや「世界は神によって作られたが、オランダはオランダ自身が造った」という自負があり、と同時に彼等の人種平等感は筋金入りだ。この最もおおきな理由は先哲エラスムスの「国家主義よりも、世界の人々はすべて同胞として考えることの方が賢明である」を堅持していることである。

 たとえば宗教亡命者やベトナム戦争脱走兵、反インドネシア人が住み付いても「彼らが何かオランダのため、提供できるものを持っていれば・・・」と深く追求はしない。それを取り調べる警官でさえ肩まで髪が伸びている。と言ってヤンは笑う。

 彼らは人や市場を保護主義で固めるという事の「愚」を知っている。過去、繁栄していた国なり文明が、内部の力を失ってそのまま滅亡してしまうケースを知悉しているのだ。

その点、いま日本も他者との衝突を回避してばかりでなく、「難民や外国労働者問題など」外部世界から異物を取り込み衝突することで活性化しなければ、所詮、過保護の元ではモヤッシ子しか育立たない事を認識しなければならぬ時期に来ているのではないだろうか。

またヤンは東京駅がアムステルダム中央駅にソックリだという。さもありなん。アムステルダム駅に模して造った物であり、コーヒ、ゴム、ビスケット、オーテンバー「お転婆」ヤーヨース「八重州」博多ドンダッハ「どんたく」半ドン、ダッチワイフ等など、言葉は元よりオランダに恩恵を受けたものが一杯ある。

 とくに旧幕時代、蘭学者といえば長崎の出島を通じオランダの医学に接したことであり、その先覚者であった宇田川玄随、箕作阮浦、緒方洪庵、皆、知る人ぞ知る岡山出身者である。
 ほかにも蘭学の祖シーボルトの娘イネと結ばれ、一女タカをもうけた美作勝山の石井宗謙、やはり門人・石坂桑亀は福渡の出であるが、倉敷の富豪・大橋家に招かれ倉敷に移っている。


 あるアイドル歌手が津山に来たとき、司会者より「印象は?」と聞かれ「病院ばかり眼につきました」と答え皆の失笑を買ったというが、たしかに岡山は和気広世が「薬経太素」を著して以来、医学と宗教の宝庫なのであろう。

2007/09/02(日) 倉敷にがおえエレジー 題29回
ところが今日は「トラ・トラ・トラ」」の間奏曲が入るので、万年床を蹴り上げ破れ障子から覗いて見ると「おーっ、なんとヤン君と淑恵ちゃんじゃないか」取るもとりあえず「ダーァ!」「ダーァ!」と叫んで抱きつくのは何時ものごとしだ。「ダーァ」とはオランダ語で「こんちちわ、さょうなら」両方とも使える便利な言葉なのである。

 このヤンは日本人に誤解されそうなキンタマーニという地方出身で弁護士を心ざしていたが、ある時アムステルダムのダム広場を通りかかると、各国から来たヒッピー達で満員だ。そんな一人からヒッピーの教祖と言われるアレン・ギンズバークの長編詩「吠える」を読まされ衝撃を受けるのである。
 人間精神に目覚めたというより、先祖が世界最大の商業国、貿易国として世界に股を駆け船をあやつっていた頃の血が騒ぎだしたのだろう。学校を即、退学してフランスへ行くのだ。

2007/09/01(土) 倉敷にがおえエレジー 題28回

このごとく余所者が自ら決断して行うものを異端児として封じこめようとする。かくしてクリシス海岸に泳いだピュウリダンのロバは「パリサイの徒」と「信仰の徒」からユダのよう見られたように、所詮我々もそういうスキャンダルなモンタジューの人間の影なのだろう。

 それ以来俺はタニシのようになった。母屋にいるホエ門爺さんと会っても無駄口をたたくこともなかった。ただ彼は朝五時になると判で押したように隠居所の横にある井戸でニワトリが絞め殺されたような声で洗面するのである。俺はは毎朝この天の岩戸のオーケストラで眼を醒まし、またウトウトするのである。


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