美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/09/29(土) 倉敷にがおえエレジー 題54回
それに宮ちゃんは「美観地区」。
この言葉はどうも腹にダブつき気味でただの「白壁通り」で良いのではないかと言う。

 それは「美観地区」とはなんとなく不美人や身体障害者が歩くのに抵抗を感ずるという用語であり、「徳、狐ならず。必ず隣有り」と言った大原孫三郎氏の意に反するからである。

 禅にこんな話がある。ある和尚が坊主に「庭を掃除しろ」と云い付けた。ところが幾ら掃除しても心良い返事がなく困っていると、和尚は掃き集めた落ち葉を掴み、数辺投げ捨て「これが掃除というものじゃ」と。

 まさにこの落ち葉が差別されたものであり、不人であり、芸術とはこの不から生まれるのだ。不の排除された社会は不毛であり、健康で品行方正で正義ただしいのは無情で非情だからである。

その証拠に「伝統建造物群保存地区」より「美観地区」という名を冠したとたん、役人は我々を排除し始めるのである。そして驚いたことに倉敷川を埋め立て駐車場にしてしまえ、という論理なのである。

 いま役人が後生大事にすがりついている「美観観光」なるものが、役人の軽蔑する「醜」「俗」の下積みの働きなしには、一刻も生き永らえることを知らずして・・・・・

「何?倉敷にチボリ公園。奈良のドリームランドの二の舞で、世界中に笑われるのが落ちさ」と言ってー

 宮ちゃんは旅に出た。また人間関係の醜悪さに耐えられなくなったのであろう。残された俺はお役人の前に身を縮めるだけ縮めて、頭を下げた。その頭に無量なモノが挫け、砕けた・・・悲。




 次回 乞食エカキと白衣の天使のラブロマン


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