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2007/09/20(木)
倉敷にがおえエレジー 題46回
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何度も言うようだがその頃の俺は浮遊求める所を知らぬニガオエ旅だ。まして情報過多で旅の葉脈を失って現実という幹からバラバラ剥奪、遊離していく無力感に毎日呆然とし、何か重大なものを失っているのではないか、と憔悴していた頃でもあった。故に現実に即した言葉ほど胸中深く銘刻を残すのだ。それほどこの言は一滴蒸留液でもあった。 それに晃氏は戦時中、東京防衛隊の一等兵だったのだが、それは名のみで後楽園球場のイモ畑に毎日肥え桶を担ぐ畑仕事ばかりで、それが実に楽しく、また色々教えられたと述壊されるのである。
自然との照応のうちに人事を眺める。人事を自然の中において眺める。このように晃氏は野菜を作るのは食べるだけが目的でなく、野菜の成長に語りかけ、彼自身何かを掴んだり、ときには心の傷を癒しておられるのだ。
ギリシャ神話にこんな話がある。ある英雄が闘って全身傷だらけになってバタッと倒れる。が大地の土に手をついた瞬間、一切の力を取り戻して、また立ち上がるのだ。「よし!、野菜畑にしょう・・・」この広い空地を見て俺も手を付く大地が痛烈に必要と感じ始めたからである。シャキシャキしたゴボウ、涙が出るタマネギ、ツンと鼻に抜けるようなダイコンを作ろうと。味の世界もまた他の芸術と同じように個人の創造力によって開発されるべきではないか。と日蓮ヒゲは勝手に思い始めるのだから良い気なもんだ。
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