美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/09/18(火) 倉敷にがおえエレジー 題44回
愚察するに彼の父君・大泉黒石はロシア人との混血児で、少年時代には文豪レオ・トルストイに抱っこされたりしてロシア、フランス、中国を放浪、自称「国際的居候」と居直るのだ。

その頃の日本は戦争というウルトラ・ナショナリズム真只中であり、それに杭してニヒリズム、アナキイズム、ダダイズム等イズムの百花争鳴で黒石も大杉栄や辻潤らとともに雁行して行くのである。

この岡山においても常に赤いボヘミアン・ネクタイをヒラツかせ、繁華街を人もなげに闊歩し、また後に日本美容界の草分け的存在になる美少女アグリと結婚。田舎町岡山をアングリとさせるのだが、その男が吉行エイスケであり、ダダイズムの第一期生であったから黒石とも親交があったものと推測される。ちなみにその息子が吉行淳之介だが閉話休題だ。

そんな時代閉塞の中で黒石は「デラシネの痛み」を根幹として戯作風刺文学「俺の自叙伝」に昇華し、ときの大編集長・滝田愕陰が主宰する「中央公論」を舞台に彗星のように躍りでるのだ。「人生見物」「人間廃業」「老子」等次々発表し、いずれも爆発的人気で版を重ねるが、文壇とか画壇の陰湿さは昔も今も変わりがない。黒石自身、文壇などはバクダン、ブツダンで示すように禄な奴はおらないと指摘するものだから、村松梢風や久米正夫みたいなケチな頭蓋骨共が黒石を一種の人格破産者として文壇より追放してしまうのである。


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