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2007/09/12(水)
倉敷にがおえエレジー 題38回
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彼にすればヒッピーや大道絵師のようなネガの部分で生きている者も、時代を煮え詰まらせていく薪の一部にならねばならなのだ。腐敗的政治、堕落形態としての宗教体質というモノの呪縛から、まず我々内部自ら解脱せぬばならぬ。それ共に人間、あるいは自然への加害者と化した現代文明の告発を縄文人的立場から行い、近代合理主義の名のもとに封じ込まれてしまった人間の内奥に潜む情念の解放を大衆レベルで展開せぬばならぬ。彼等ヒッピー運動としての展開を切り開けるか、否かはこの点にかかっていると云いたいのだろう。
わかった。日蓮ヒゲ、しかと見届けおく。
千鳥足の世迷いごとはこれぐらいにするがこのアーチにしろ、ヒッピームービメントの虜になった一人であり、倉敷川沿いでアクセサリーをやっているロク、ヒロ、ハニー、ガラス諸君もヒッピーのニューエイジであった。彼は後年、長野八ケ岳での「いのちの祭り」倉敷キリスト会館での反原発祭り、鳥取大山での風の祭り、阪神大震災でのボランティアのスタッフの一人になるのだが、その時ばかりは垂下したヒゲも跳ね上がり、寂しげな眼も生き生き輝くのだから不思議なものを見る思いだった。そこで「国際ヒッピー協会倉敷支部長」という大げさな名を冠したしだいである。
天領柳に埋もれ、疎水ひあがり熱い日の事であった。
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