美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007年9月
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2007/09/11(火) 倉敷にがおえエレジー 題37回
その後のヒッピーはドロップ・イン「社会の内」派はとアウト「社会の外」派に分裂する。
イン派は都会の真ん中に共同体を作るべきだと、国分寺でロック喫茶「ほら貝」とインデァンプロセスという印刷会社をやり始めるのだ。「ほら貝」はニューロックやニグロスピリチュアルばかりで当時としては画期的なものであり、インデアンプロセスはアメリカのヒッピー新聞「オラクル」からヒントを得た「部族」を発行。編集は新宿のランボーといわれたナーガであり、絵はニガオエ描きのポンが担当した。

 一方、アウト派は原始社会の自由、平等、友愛がもっとも優れた形で復活しょうというモルガンの言葉をスローガンに、長野・富士見に原始部落を。また或る者は鹿児島南海上、諏訪瀬島に入植、共同生活に入り、ここが日本のヒッピーの聖地になるのである。

 以後、二十数年、紆余曲折があったとはいえイン派は東京・杉並のホビット村から自然食、有機農業の運動にヒッピーイズムの一つの到達点に達し、アウト派は諏訪瀬でのヤマハボイコット運動を巡り、奄美でポンを中心に「無我利道場」を設営、反東燃闘争に入っていくのだ。ポンの云う「自然に帰れ!、自然を守れ!、ナロードニキへ!、」だ。


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