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2007/09/01(土)
倉敷にがおえエレジー 題28回
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このごとく余所者が自ら決断して行うものを異端児として封じこめようとする。かくしてクリシス海岸に泳いだピュウリダンのロバは「パリサイの徒」と「信仰の徒」からユダのよう見られたように、所詮我々もそういうスキャンダルなモンタジューの人間の影なのだろう。
それ以来俺はタニシのようになった。母屋にいるホエ門爺さんと会っても無駄口をたたくこともなかった。ただ彼は朝五時になると判で押したように隠居所の横にある井戸でニワトリが絞め殺されたような声で洗面するのである。俺はは毎朝この天の岩戸のオーケストラで眼を醒まし、またウトウトするのである。
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