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2007/08/05(日)
倉敷にがおえエレジー 題6回
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我々は緑御殿の石段に座って話しをした。さきほどの牛のクソ面男、幸福そうに熟柿の匂いを発散させているのだが、星の王子だというのには驚いた。汚い鼻毛をのばした王子さまだ。きっと九等星か十等星くらい の星だろう。ところが以後、彼とは倉敷市民会館での反戦フォーク、草の根市民運動「元気屋」での反核ディ スカッション、倉敷キリスト教会館での似顔絵師ポンこと山田魂也のヒッピーコミューン運動など俺の行く先々 顔を会わすのだ。しかし、彼と付き合えば付き合うほど、まったく俺の文章のごとく春だか秋だかハッキリ分からない王子さまである。サン・テグジュベリーの「星の王子さま」によると「本質的なモノは目に見えないこと」とある。すれば彼こそ本質的なモノを掴んでいるのかも知れない。と勝手に飲み込むことにした。
「わしゃ、バスク人の子孫じゃけんのぅー」待ちかねたようにおっしゃるのはベレー帽の爺さんだ。一人一人 舐めるように見ていって、少しでも異を唱えそうなら怒鳴りかねない剣幕である。聞くところによるとキリストも 除福も日本に墓がある。故に彼がバスク人であっても可笑しくない。我々にも損得はない。助け舟の恩義があるから聞いているだけである。ただ、よく観察してみるとベレーはバスク人の発明であり、バスク固有の三角顔。眼は洞穴のように深く、おまけにワシ鼻でそういう眼で見れば見えぬことはない。いっその事、赤いネッカチーフに銃でも持たせればフランコ将軍も裸足で逃げ出しただろう。ピカソはヤンヤの拍手をしたに違いな い。上手くいけばゲルニカの絵が貰えたかも知れないのだ。「わしゃね、日本人のコセコセしている所が嫌いなんじゃ。さきほどのガードマンも枝葉末節に捉われておる。なぜ姿、形ばかり見てその奥にある深層の本質を見ようとしないのか・・・まあ、あの男に言っても無駄じゃろうが・・」こういってバスク老は深く凹んだ眼をしばたいた。「言ってあげるが長い人生、ときには自分の思う通りにいかんもんじゃ。望むのと生きるのは別の事。こんな事でクヨクヨするんじゃオエン。肝心なのは望んだり、生きたりすることに飽きない事じゃ、後は我々の知ったことじゃない」人生の重い荷物でチリメン腰にはなっているが、幾つかの人生の悲哀を通過したあと故意見は確実で俺達に安らぎ希望を与えてくれた。やっぱり亀の甲より年の功だと思った。
さて、こんな騒ぎにまぎれて、奇怪千万な年末の夜がコソコソとやって来た。俺達は明日、播州赤穂義士祭りに討ち入りに行かねばならぬ。倉敷駅にて三人、野良犬に喰われぬようかたまって寝た。寒かった。カタツムリがもしいたら、なんて人間っていう奴は不便な生き物かと笑っていただろう。 時、昭和四十六年十二月二十三日の事であった。
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