美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/08/04(土) 倉敷にがおえエレジー 題5回
バスク老と星の王子さま

 


 ボナールの「欄干の子猫」見たかい。色の魔術師といわれた彼の絵も近くに寄ってよく見ると汚い色の複合だった。嘘で大きな真実を生む、この嘘と真実の微妙な釣り合いが問題で極端な誠実さとはやはり奇異で鼻持ちならないものだね。と小野君こと迷宮かいう。俳優の加藤剛に似てハンサムだが「三日前に母親が亡くなりました。禅坊主に帰依して三七・二十一日間、ソバ湯だけでとうしました」と言うようなやつれた大岡越前ノ守だ。げんに彼は京都の大徳寺で座禅し、禅の瞑想だけでは飽き足らずヒッピー詩人ゲリー・シュナイダーらが日本でやっていた「部族運動」にも片足を突っ込んでいた。故に彼の言説は紆余曲折的であり、そこから迷宮というアダ名を献上されたのであろう。

 もう一人の田島はカリエールの「思い」が気にいったとみえ絵ハガキを買っておる。煙りのようにボンヤリした中に憂愁にみちた女の顔があり、どことなく不安を蔵する画面でる。後の話であるが、あの幼女連続殺人のMはこの絵の前で半日でも一日でも立ちつくしていたという。思うに、Mにとっては現実の世界がつらい、それを真っ向から乗り越えるではなく、空想の世界に逃避・埋没しょうとした時によき対称であったのではなかろうか。すれば作者カリエールの「悲哀を知らない人は、善についても何も知らない」という言葉と裏腹でとんでもない間違った鑑賞していた事になる。とまれ・・・こんな所でM論していたら俺達三人とも野垂れ死にだ。Mは酒と共に胃に流しこんでイーゼルを美術館の前に突き立てる事にした。


 季節がら柳の緑はなかったが、倉敷川を挟んで残っている白漆喰の塗籠め造りの土倉、民家の持つ品位と格調の高さには驚嘆した。いつ鞍馬天狗が現れても可笑しくないと思った。天狗は現れなかったが観光客もポロポロである。しかし、さすが美術館前のせいかそのポロポロが全て描かせてくれるのだ。俺は意味もなくバッタのように平身低頭する奴とあべこべに後ろにのけぞる奴は信用しない事にしているが、この時ばかりはのけぞるだけ反り返ったものである。だが世は人事雲千変だ。さきほどからネズミのように首をだしたり引っ込めたりしていた男が「わしはガードマンだ」と言って、さも珍しい種類の連中が来たとばかり俺の前に顔首をグッと突き出すのだ。「いま美術館はゴッホ、ルオー等の作品が盗難にあって取り込み中。こんな所で幕を開けると迷惑する、すぐやめちゃい」との御託宣である。幕?・・・成る程、俺にしろ越前にしろ面体がドサ廻りの旅役者には持ってこいの風格だ。三流芝居なら勧進元の声は天の声である。皆をうながしてニガオエ道具を片付けていると「ガードマンさんノォー、このヒゲの先生方が芸術活動なさるのを、どうあっても止めさせなくちゃ顔が立たんとオエンのか。ここを東洋のモンマルトルにしたいと言うのが大原氏の意向じゃろ。やらせてあげなされ」声の主はチリメン腰だがワシ鼻にベレー帽の粋なジイさんからの助け船である。すると今度は「オメエリャの出現は倉敷の一大啓蒙じゃ、かまやせん、ヤレ・・ヤレ・・」と牛の糞を踏んずけたような顔の男が、梅毒の広告みたいな世辞で追風を吹き込んでくれるだ。船は頑固で風は横着、ネズミは威信で三つ巴である。なんでも世の中の悶着は機械のせいだと先哲ウイリアム・モリスは指摘したが、ここの悶着は俺達のせいだ「まあ、まあ」と言いながら騒動の原因を作った俺が仲裁に入って、皆を緑御殿まで退却せしめた。それを見届けたガードマンは己の使命感からくる満足を身体一杯にあらわし美術館の中に消えていった。


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