美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007年8月
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2007/08/03(金) 倉敷にがおえエレジー 題4回
新幹線が東京ー岡山間が開業したのは昭和四十七年である。その前後年には作家・三島由紀夫が
東京市ケ谷の自衛隊内で割腹自殺を遂げ、軽井沢の連合赤軍五人が篭城、機動隊の包囲網の末犯
人逮捕というショキングな事件が起こった。と同時に大阪で日本万国博覧会が開催され、田中角栄内閣誕生。氏の「日本劣等改造論」がベストセラーになり、巷では青年のロングヘアがあふれ「シラケ」「ガンバラナクチャ」等の流行語を生み出したのもこの時代である。ここに於いて国民半ばが思想を失い、節度を忘れ、ただ物質謳歌へ闇雲に走りだし、自ら魂の空白状態へ落ち込んでいくのである。我々大道ニガオエ描きの身辺にも、環境整備の美名のもとにコチコチの衛生タイルみたいな街造りが氾濫しだし、息苦しくなってきた。終戦直後よりニガオエを描いていたモダン・アートの石田氏がカッターナイフで喉元を突き憤死。上野の京成百貨店屋上より「オレはゴッホだ、世界中の人々を描いてやる」と叫びながら飛び上がり狂死したO氏。まさにその頃の事を思い出して見ると洞窟を覗いているような時でもあった。しかし、このあたりの状況を語るには多くの枚数が必要だ。こんな所で道草を喰っていたら日が暮れる。読者諸氏は欠伸をするだろう。今はとにかく倉敷に急ぐ事にする。大道ニガオエ師の大半は都会より脱走という旅に出たのだ。


  秋風落莫として行人旅に愁いは西行法師の文句だ。大道ニガオエ師悄然として異郷に悩みそうなのは俺たちの胸中だ。しかし、旅先では所詮幻想にしろ窒息しかかっている所より逃げ得ることが何より救いであった。ある時、東北のローカル線で靴磨き道具とハブラシ一本だけ持って旅している老人に出会い「靴磨きならどこで定着してやった方が良いのではないか」といったらその老人が答えた。「人間の不幸の原因は記憶の積み重ねから始まるノオ、だから記憶が積み重さらないうちに他所の土地に行くのジャ・・・」と。その時、俺はその老人の気持ちが痛いほどわかった。ところが奇妙なことにこの老人も含め、ニガオエで全国を回っている連中が避けるのは山梨、滋賀、岡山県なのだ。なるほど山梨は甲州商人、滋賀は近江商人など好ましいイメージでは語られていない。では何故、岡山県を彼等は避けるのか・・・

  過日、テレビで浜家輝雄なる人の司会で岡山県人論なるものをやっていた。面白いと思ったのは、セールスマンが岡山で仕事が出来れば全国何処でも通用するという事。それに「燃えろ岡山」というリフレーンとは正反対に浮つくことを極度に嫌う県民意識故に燃え得ないということであった。たしかに岡山を日本のユダヤと言ったのは大宅壮一だ。備前浪人は油断も隙もないから召し抱かえるなと言ったのは狸オヤジ家康だ。岡山人の学問は自己を掘り下げるより、一家保全か個人の粉飾するためと言ったのは祖父江孝雄氏だ。など色々あるがこれを読む倉敷人はコン畜生と思われるであろう。俺もコン畜生だ。何故なら、だいたい県人論の類いは悪口雑言であり、所詮個に帰し盲人巨象を撫でる意だからである。まして一定の職業もなく、何等社会的見識もない乞食エカキが言ったところでますます気狂いあつかいされるのがオチであろう。況や、どうやら首吊りもせず日々炊飯器のフタも開くというのは誰のおかげか。みな美観地区、倉敷人の好意の成せる賜物ではないか。俺はひたすら小さくなる。人間とか蜘蛛なんて奴は必要に応じていらでも小さくなるものとみる。 


時は流れる美観地区。夜が明ける。雪の空。と言えば白楽天のまがいものになるが、初めてここに来たのは俺一人ではない。ここ倉敷出身の小野君と群馬出身の田島君とのトリオ編成であった。小野は後に創画展で大賞をとり、田島は子門マサトの歌う「泳げタイヤキくん」の足の出た鯛のデザインで数千万円手にするのだが、この地点では神でさえソッポを向いていたとみえる。桃太郎の鬼ケ島も正直爺さんの雀のお宿も、行きさえすれば的があって外れっこないが、俺たちの旅は暗がりで鉄砲を撃つようなもので全く見当がつかぬ。故に面白いのだ。この息苦しき世の中に、万事が一たす一は二になりきる安直な合理主義時代にだ。まだまだ埋もれたる人材、夢みる人間にも出会うこともある。これから紹介する、たぶん極楽に引越されたと思うが、自称バスク人の子孫という三宅氏。牛のクソを踏んずけたような顔をしなら、星の王子様と名乗るおじさん等登場しドラマがチックに展開するはずだったが残念ながら紙数が尽きた。今回はひとます去ることにするが次回は面白くなる事を予告する。誰かぁ、俺の背中を蹴る奴は・・・・・・・・


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