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2007/08/22(水)
倉敷にがおえエレジー 題19回
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よく言われる言葉に「手に芸ある者は強いねぇ」だが、大道絵師に関する限り芸は身を助けるより、身を滅ぼすのだ。それと言うのも大道絵師は世の中に非常なる憤懣を内包し、いっそ死んでしまいたいと云いつつも、そうたやすく死を決しかねる者が、死なずに世間に背く手段としてこの道に入った者が多い。モダンアートの石田、行動美術のO、東京芸大出の久保園、自称ダダイストの城戸、原稿用紙にして十万枚以上という「最上高天原朝史龍眼本記」を著した清原天皇。一日150枚の似顔絵描いた大崎、釣り好きの信ちゃん、立って寝れる中島全て大道に於いて憤死だ。考察するに彼等は似顔絵以外、社会の中ち持ち込む回路は断たれていた。しかし、名前、金、家、そして命まで捨てることによって、生きることに真剣になりえ、「死」と常に隣合せにいることを意識していたからこそ精一杯血をたぎらせる事が出来たのではないか。一人の人間が一生アウトロウに捧げた血みどろの研鑽と気迫、魂魄の呻きが聞こえてくるのだ。あえて大上段で構えればあの無知な大衆との間で孤独裡に空を仰いで窮死するモーゼ。十字架につけよと叫ぶ群衆の前に拳を握って悶死するキリスト、神は己の中で死んだと叫んでたった一人山に帰って行くツアラツストラを想起するのである。
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