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2007/08/20(月)
倉敷にがおえエレジー 題17回
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F 芸は身を助けるより滅ぼす也
倉敷には暇な人が多いと見えて、俺の書いている物にどうのこうのと言うてくる。これは小堀遠州が大阪冬の陣、倉敷川より兵糧米を徳川方に送った功績により天領となった倉敷っ子気質からきているのであろうか。過日もご婦人が「あんたは絵も達者だが、口も達者じゃねぇ」とおっしゃる。 「何・・・・下の方も達者ですぜ」こう答えると眼を白黒させ、口をポカンと開けておる。 正直いうと俺のライフワークは「縄文人の魂に帰れ」を理念理想とする教祖なんだが、こんな事でも喋ろうものなら即刻、精神病院に送りかねない態なので慌てて呑み込んだ。
又、ある親父が「毎月スランプでアンタのを読んどるじゃが・・・」と言う。この男は初めて見る山水人物ではなく、どうして喰っているのか毎日ここにやって来て、ときには俺の顔をしげしげ眺め弁当を使い始めたのには流石にビックリした。たしかに俺は変わっているが、無論生きたままの蛇を喰うとか、首が伸びるとか、夜中になると油を舐めるとかそういう風に変わっているのではない。ただ俺の心情は来るものは拒まず、去るものは追わずでましてここは大道で俺の読者だと聞くと無碍に断る訳にはいかないのだ。「そりゃ、どうも・・・・所でスランプじやなくスクランブルでしょう?」と答えると「うんじゃ、スカンクじゃ。アンタのは和漢未聞、神武以来の珍文で面白いのだが、オエン。例えば俗化が進む美観地区、人情を忘れ稼ぎ一筋に走る人間どもに筆誅を喰らわして貰いたいのじゃ」とスカンク親父は漢文調で悲憤慷慨だ。「それに最近の奴らは緑御殿といっとるが本当は有隣荘で、徳、弧ならず必ず隣有りと言ってノォー」このように論語の教示。その上、酒一本置いていくところ等は慇懃を極め、敬意を尽くした開閥以来の挨拶なんだろう。
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