美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007年8月
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2007/08/01(水) 改ー倉敷にがおえエレジー 題2回
分刻みの観光客は小旗とともにバスに押し込まれ、子守の爺さんは寒くなったので家に帰ったのであろう。一人になった俺は石垣にもたれながら考えた。ニガオエで糊口をしのいで27・8年、よくまあ干物にもならず生きてきたもんだと感心した。大阪美術研究所を振り出しに難波、京都、三宮。花の万博で尻をわり、それから上京、銀座、新宿、上野公園。一転フーテンの寅よろしく、北は北海道から南の九州まで祭りを回り回って、落ち着いた先がこの倉敷という按配だ。蓬髪に日蓮ヒゲ、ウス汚れた鼠色のコート、そしてニガオエ道具の入っている頭鉈袋。おまけに煎餅みたいな下駄には、垢のたまった親指が周囲の景色を窺っておる。後で聞くところによると、この姿を見た倉敷界隈の人は倉敷
代官所焼き討ち事件以来の大騒ぎだったそうである。倉敷人が驚けば俺も驚く。よくまあ色んな人間に出喰わし、色んな場所に行ったものだ。出喰わしてないのは生涯連れ添う女と河童ぐらいだろう。行ってないのは宮内丁と刑務所ぐらいだろう。しかし、こういう旅だからこそ人々の喜びや悲しみなど共有出き、人情の機敏に触れられたのではないか。だいたい人間の思想とは大学や図書館、宗教にあるのではなく、本来それはある覚悟をもって生きる人間の生活から、ある毒気をもって沁み出すものと俺は頑なに信じている。それが信じられないのは、旅の空で病気と金に困った経験のない奴だけであ
ろう。それにしても昨今、ニガオエを描いていて感ずるのは笑いを惜しみ、涙を惜しみ、感動でさえ惜しもうと情感の枯れはてた人間、他者に対する共感の欠けた人間がなんて増えたことか。当世はやりの言葉ていえばゾンビのオン・パレードだ。民俗学者の柳田国男氏は昭和30年頃「今のうちに日本人の顔を撮っておかないと、日本人の顔がなくなる」と言ったそうだが、それは超管理抑圧社会の中で人間が生きる根本的な条件ともいえる、そうした充足感すら変態的飽食文化が奪いさろうという時代を予見し言ったのだろうか・・・・

「先生」刹那の想像は矢車のように回転するがこの一声で現実に戻された。スクランブルの編集長・
山本清隆氏だ。彼曰く「先生に原稿依頼の件あって参上しました」とアル中の日蓮ヒゲに見込みをつけるのだ。確かに俺はこの世に対して言いたいことは山ほどあり、話したい事も腐るほどある。こうなれば三千世界の神や仏に忘れられたように沈没している訳にはいかないと、廃屋に帰り書いているだが四苦八苦だ。これを読まされる読者諸氏は四苦八苦だろう。しかし、それでも尚、読み続けるならば、本当に人間らしく生きる場所は何処にあるのか、生きている手ごたえを求め瞳に涙し、さまよい続ける人々に何らかの示唆を与えるであろう。

 時には暗い梅雨空にポッカリ小さい青空を見出して喜びを感じて貰えるであろう。それでも不満あるならば、不肖チモト宏アルコール漬けになった、この汚い顔首を差しあげようじゃないか。


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