美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/08/31(金) 倉敷にがおえエレジー 題27回
彷徨えるオランダ人・ヤン君

 陽の当たらぬ隠居所みたいな部屋で、死人の肖像画を描きつつ籠鳥のように生きていたことは前に話しをした。無論、無為徒食ではない。ナマコでさえ何もしない面構えをしておりなからチャンと生殖活動はしているのだ。

 俺はナマコに励まされ、F先生に援助され、津山の釣鐘堂の二階に美術研究所を作ったが、部族、外人ヒッピー、べ平連の連中で百花争鳴、ついに梁山泊となれ果て、一年ほどで自然消滅
していくのである。絵を教え金をとる行為は所詮無理なのだ。

 また地方では我々風来坊を「余所者」と呼び忌み嫌うのだ。渡り鳥のような旅へと彷徨い歩くボウフラみたいな輩から、鞭打たれつつ尚、黙々として働き苦しみ喘ぐ俺達の生活に.何も教えて貰うことはない。お前らこそ覚醒される方だと訂正する方が良い.と殴りかぬない勢いだ........

2007/08/29(水) 倉敷にがおえエレジー 題26回
乞食エカキをして二十数年の俺も、もうここまで来たら.いままで通り何物も所有せず、執着せず、何時でもその気持ちで四国遍路か、あの世への旅に出られる境遇において置きたい気持ちで一杯だ。
 所詮、流浪の者は流浪の内に生活し、そしてこの世の空「くう」をを悟るのが本当と思うからである。
 いま俺は喪心者のように空を見ながら己の境遇に満足し、昨日も今日も一人で閉雅に酒を飲んでいる。
 ニヒリズムよ!・・・雲よ!・・・女よ!・・・名声よ!・・・

 五目ライスみたいな人生よ!



  この文は親愛なるペテトさんに捧げる。

2007/08/28(火) 倉敷にがおえエレジー 題25回
同棲していた時だ。イタリアの画家・コレッジョの版画を見て唖然とした事がある。それは三人の女が木に縛りつけられている男の側に喰っ付いている絵であり、「情欲」という女は男を挑発しており、「悪習」という女は男を枝に釘付けにしており、「嫌悪」という女は男の脇腹に毒蛇をあてがおうとしているのだ。その男の顔は創造を行う能力を諦めきって柔弱遊惰に溺れきっている。束縛に甘んじ隷属している。壊れた時計みたいに意思のゼンマイが緩みきっている。こういった事が同一の画面に全部表現されている。俺はこの絵を見てこの画家の霊筆に驚嘆し、女には一言も告げず旅に出たゲーテや吉田兼好を想起した。ゲーテは正しかったのだ。彼は恋に取り憑かれると取るもとりあえず旅に出ている。そして結果から言えばうまく恋愛の危機をかわし「マリエンバート恋歌」を書き上げている。七十四歳の男が不滅の作品に昇華させたのは恐れいるのだ。立場が違うが釈迦しかり、シェクスピアしかり、兼好しかり、フーテンの寅・・・・etcだ。

2007/08/27(月) 倉敷にがおえエレジー 題24
さて「どうして結婚しないか」であるが、一言でいえば生涯連れ添う女に縁がなかった事になるがそれでは身も蓋もない。
 ただこういう問いを発する女には蓬髪、日蓮ヒゲ、薄汚れたコート姿、亡霊みたいな手つき、ひもじい声で客を呼ぶところなどはメス猫でさえ寄りつかないだろう。という意地の悪い姿勢が窺えるのだ。いわんやアル中の上キ印ときているのだから・・・
 ところがドッコイ、乞食エカキ結構興味を示す女がいて、過去数度の同棲生活しているのである。ときにはフランスのリサ、オランダのテレサ等とも一緒に生活したこともあり、実にインターナショナルなのだ。それでも結婚しないのは結婚することに於いて俄然その境界が一変し、無形が有形に、無頓着より細心、社会組織に束縛され、ここに自由が不自由に変わることを危惧するからである。換言すれば女を得ると同時に一種の排他主義が生じ、また個人的なことや私有財産に対し非常に強い利己的な本能が居座るからだ。故にモノを創造しょうとする男が、女を持つとは首根っ子に沢庵石をぶらさげて生きているようなモノだといっても過言ではない。

2007/08/26(日) 倉敷にがおえエレジー 題23回
ただ酒飲み絵師の詭弁かもしれないが酒飲みの名誉?のために申しそえると、一般に酒で正体を失っていると言うがこれほど馬鹿げた言葉はない。何故なら反対にたいがいの人が酒を飲まない事によって正体を隠しているからだ。彼等は極言すれば酒を飲んで破廉恥した者と等しく、ある種の感覚の欠如者であり、一般にイントレラントになる可能性が強い。そこから生まれでた強度の自信は認識の柔軟性を失わしさしめ極端な偽善者となりがちである。だからとっちもどっちなのだ。本来インドのソーマ神にせよ、ギリシャのバッカスにしろ酒に関係する神格は躍動や歓喜、あるいは忘憂を意味するものであった。つまりアルコールとはアラビア語で「引き出す」の意であり、そこへスピリットという言葉をかけて人の魂を引き出すことだ。
ああ・・こめん、飲みたくなった。
お浜・・・・酒や、酒や・・・

続ける・・・
 たとえばニガオエを描くとき、頭で掴んだイメージが腕を通って指先で開花するまで普通ガタガタになる。しかし酒を飲むとストレートにいく。頭で描くのではなく、理屈を超えた内なる行為がほしいのだ。無心になる。あれこれ思い煩うと大脳の新皮質が邪魔になる。余計な命令をだして眼フイルターがかかる。故に飲む。浜の真砂が尽きても飲む。縄文人も飲む、キリスト、日蓮、一休禅師、白楽天、横山大観も只ひたすら飲む。乞食エカキも飲む。飲んで駄洒落を吐いてニガオエを描き、偽りの天下泰平安穏を歌うもよし、悲憤慷慨して涙流すもよし、行く付く先は博物館に陳列される魚貝昆虫と同じくアルール漬けになるのもよいではないか。楽天、楽天・・・酒なくして何が己がニガオエ描きかなである。

2007/08/25(土) 倉敷にがおえエレジー 題22回
酒と女とニガオエ、そして・・

 中国に「酒悲」という言葉がある。酒に悲しみを紛らそうとして、かえって酒で悲しみを倍加させる意である。無論、中国に限らず人のいるところ必ず葛藤と悲哀があり、酒のあるところには又必ず歓喜とそれに相反する悲しみがあるはずだ。大道絵師も常に理想と現実のギャップ、みたさんとして満たし得ぬ不満。その上、似顔絵を描くのだから神経疲労の振幅はげしく酒に救いを求めることになる。我欲に捕われていたのでは大道ニガオエ師としての感情が、かせられる試練の異常さに耐えかねるのだ。でついつい度をこえて酒を飲む。すでに酒を楽しんでいるのではなく、酒を恨みつつ飲んでいるのである。酔えば酔中に命絶えることを願い、死んだ方がましだと思うから無茶をやらかす。酒癖はますます悪くなる。いたる所で顰蹙を買う。人に嫌われるというデカダンスが沁みわたっていて、自嘲的に成りきることによって己を誤魔化しているのかもしれない。己自身、酒との格闘を記憶のスクリーンにプレイバックするならば醜悪、恥辱に充ちた泥酔など枚拳にいとまがない。悔恨と慙愧の砂塵の嵐が心の中を吹き荒ぶのだ。

2007/08/24(金) 倉敷にがおえエレジー 題21回
無論、俺も美術研究生頃には夢があった。デビュー当時の歌手・水前寺清子、司会の大久保令などと共に有名ホテルでニガオエを描き回ったこともある。又、木川カエルか、雨ガエルか失念したが大阪万博でもやった。しかし、ヒッピーの影響もあるが疑問を感じ始めたのだ。自然を破壊し、人心を荒廃させ何が「人類の進歩と調和か。今回の花博も「人間と自然の共生」を唱えつつ、大阪地下の新聞売り子達を「みっともない」という理由から拝除しょうとするように、過去から現在まで「平和、正義」の名の下でどれだけ悪いことをして来たか。いくら美麗に飾られた会場でベレー帽とチョビ髭、パイプ片手にミンクの豚どもを描こうと所詮オリに入った動物と同じではないのか。俺の中でハッキリ分けられるのは路上でニガオエを描いて金を貰い、それをナリワイとしている者だ。金さえ貰えば誰でも描く無節操さではなく、芸をやる事に世渡りが大ゲサにいえば生き死にかかっている者のことである。わずかな人間で決めた賞なんてたいした名誉ではない。俺のほしいのは大衆の喝采だ。大衆が俺の仕事を賞賛してくれるならばそれで充分なのだ。
 「乞食エカキのおっさん、今日はボッケー怖い顔しとるノォ」と言って高校生が通り過ぎて行く。女の子が倉敷川に落ちかけた。アブナイ!

  次回 酒と女とニガオエ・そして・・


2007/08/23(木) 倉敷にがおえエレジー 題20回
「唯一不二の自我人はルンペンでなければいけない」とマックス・ステルナーは言った。大道絵師も仮にルンペンにならないまでも、出来るだけ零落する事が要求される。何故なら零落すればするほど世間という名の自己以外のモノが削り落とされていき、零落の段階に応じてしだいに自己は自由気儘なモノとして開放されていくからである。「人は如ー何に生くべきか」など、エセ知識人どもが饒舌に多くの知識を振りかざして説こうとも結局、我々に何の解明をも与えないという事実を悟るべきである。人間は愚かなのだ。一生そのものが愚行で充満していると言った方が至当であり、愚行を犯すまいと努力すること自体が愚考だと考えたほうがよいのだ。その事を知悉していたのが愚を愛し、愚にあこがれ、この岡山の円通寺で修業した良寛で、夏目漱石の言う「則天去私」であろう。くどいようだが悲しいかな大学や図書館、エセ知識人から答えは出ない。

大道「自然」が答えてくれるのだ。ゆえに俺は大道こそ我が画室であり、修業場でありたいと願う。

2007/08/22(水) 倉敷にがおえエレジー 題19回
よく言われる言葉に「手に芸ある者は強いねぇ」だが、大道絵師に関する限り芸は身を助けるより、身を滅ぼすのだ。それと言うのも大道絵師は世の中に非常なる憤懣を内包し、いっそ死んでしまいたいと云いつつも、そうたやすく死を決しかねる者が、死なずに世間に背く手段としてこの道に入った者が多い。モダンアートの石田、行動美術のO、東京芸大出の久保園、自称ダダイストの城戸、原稿用紙にして十万枚以上という「最上高天原朝史龍眼本記」を著した清原天皇。一日150枚の似顔絵描いた大崎、釣り好きの信ちゃん、立って寝れる中島全て大道に於いて憤死だ。考察するに彼等は似顔絵以外、社会の中ち持ち込む回路は断たれていた。しかし、名前、金、家、そして命まで捨てることによって、生きることに真剣になりえ、「死」と常に隣合せにいることを意識していたからこそ精一杯血をたぎらせる事が出来たのではないか。一人の人間が一生アウトロウに捧げた血みどろの研鑽と気迫、魂魄の呻きが聞こえてくるのだ。あえて大上段で構えればあの無知な大衆との間で孤独裡に空を仰いで窮死するモーゼ。十字架につけよと叫ぶ群衆の前に拳を握って悶死するキリスト、神は己の中で死んだと叫んでたった一人山に帰って行くツアラツストラを想起するのである。


2007/08/21(火) 倉敷にがおえエレジー 題18回
俺もマックス・ノルダウの退化論をひも解くまでもなく、文化が肥大化しスピード化すればするほど根っ子のない無国籍都市文化へ、エゴイズムの亡者共が右往左往するのは知悉している。故に俺は絶望主義者で年がら年中、世にフワリと浮いたり、ポカリと沈んだり、沈み浮いてはニガオエを描いて露命を繋いでいるクラゲ法師なのだ。こんな法師がスカンク親父の口車に乗せられ、下手な事でも書こうものなら腕を捲くる御人が何人も出てきそうなので、滅多に口を滑すわけにいかない。それこそ孤城落日、四面楚歌だ。まして戯作か、本作か作者さえ解からぬ本流は、津山で死人の肖像画を描きつつ浮かぼうか沈もうか藻掻いていた処だったはずである。スカンク親父にはご退屈様かも知れないが、もう少し藻掻かせてくれ。他にも「何故、大道で絵を描くのか」「絵を描くとき、どうして酒を飲むのか」「どうして結婚しないか」等など質問があるので、俺の鼻穴から尻穴まで御開陳しょうと言うわけだ。ただし、開陳は俺のいう開陳だから、ただしくは逸脱かも判らないので、そのつもりで聞いてほしい。  


2007/08/20(月) 倉敷にがおえエレジー 題17回
F 芸は身を助けるより滅ぼす也

  倉敷には暇な人が多いと見えて、俺の書いている物にどうのこうのと言うてくる。これは小堀遠州が大阪冬の陣、倉敷川より兵糧米を徳川方に送った功績により天領となった倉敷っ子気質からきているのであろうか。過日もご婦人が「あんたは絵も達者だが、口も達者じゃねぇ」とおっしゃる。
「何・・・・下の方も達者ですぜ」こう答えると眼を白黒させ、口をポカンと開けておる。
正直いうと俺のライフワークは「縄文人の魂に帰れ」を理念理想とする教祖なんだが、こんな事でも喋ろうものなら即刻、精神病院に送りかねない態なので慌てて呑み込んだ。

又、ある親父が「毎月スランプでアンタのを読んどるじゃが・・・」と言う。この男は初めて見る山水人物ではなく、どうして喰っているのか毎日ここにやって来て、ときには俺の顔をしげしげ眺め弁当を使い始めたのには流石にビックリした。たしかに俺は変わっているが、無論生きたままの蛇を喰うとか、首が伸びるとか、夜中になると油を舐めるとかそういう風に変わっているのではない。ただ俺の心情は来るものは拒まず、去るものは追わずでましてここは大道で俺の読者だと聞くと無碍に断る訳にはいかないのだ。「そりゃ、どうも・・・・所でスランプじやなくスクランブルでしょう?」と答えると「うんじゃ、スカンクじゃ。アンタのは和漢未聞、神武以来の珍文で面白いのだが、オエン。例えば俗化が進む美観地区、人情を忘れ稼ぎ一筋に走る人間どもに筆誅を喰らわして貰いたいのじゃ」とスカンク親父は漢文調で悲憤慷慨だ。「それに最近の奴らは緑御殿といっとるが本当は有隣荘で、徳、弧ならず必ず隣有りと言ってノォー」このように論語の教示。その上、酒一本置いていくところ等は慇懃を極め、敬意を尽くした開閥以来の挨拶なんだろう。

2007/08/19(日) 倉敷にがおえエレジー 題16回
アルコールに火照った頬に微風がまるで新しいシーツのように心地良い。ニコニコしながら俺も商売始めると、明るい乞食は貰いが多いは定石で次から次客があり、下手すれば横顔半額、後ろ向き無料、はらみ女は一倍半ともいいかねない勢いだ。嵐が過ぎヒョイと見ると類は類を呼ぶというのか、知恵遅れらしい子が大きな瞳を据えて下から俺の顔を覗いている。知恵遅れとは現代風にいえばLDっ子となるそうだが、ノーベルもエジソンもLDっ子で別に悲観する事もない。頭を撫でてやりながら話しをしたが、親しまれればなかなか可愛いものであった。それを見ていたのか娘が俺の前に屈みこみ、一枚の紙切れを差し出す。「消えたはずの言葉が、闇の中からよみがえる。消愛・・・死・・・詩、そして愛。アナタハキドッタ道化師ダ。黒ノスェターニ、ウス汚レタズボンニハ、真ッ赤ナスイトピーガニツカワシイ。キドッタ女ノワタシニ、タバコヲ一本ヲクレ」ジーパンにダブダブの黒のセーター。長い髪、いやに赤い口紅が気にかかる。こういう時が自称色男?の辛い所であり、色んな妄想が去来するのが俺の悪い癖である。ところが娘はタバコに火をつけると「ありがとう、私はキチガイ・ペテト。あまり酒を飲まないで良い絵を描いてくだい・・・・」そう言ったかと思うと、長い髪をなびかせ、タバコに咽ながら有隣荘の路地に消えて行った。ホタルみたいな娘だ。これで俺の胸と・・下も膨らむだけ膨らんだショボン玉が壊れて消えた。と同時に酔いも急速に醒めていく・・・・そして思った。可愛い娘がたとえ一人者にしろ、汚い口ヒゲを生やしたニガオエ師と駆け落ちするはず゛がないじゃないか、と。暇で困っているときはそれは少しは相手してくれるだろう。それが最大限の好意なのだ。薬局?だなんて、図に乗るにもほどがある。いいか、忘れるな、お前はルンペンエカキなんだぞ・・・わかったか!!


2007/08/18(土) 倉敷にがおえエレジー 題15回
ショウペンハウエルの動機説によると、俺みたいなつむじ曲がりの男が時々震動するのもやっばり虫の精だそうだ。虫といえば啓蟄と言って虫や草が冬眠から醒めて活動を始める日のことで、この頃になると俺はソワソワし始める。それに昨夜は死に写真の婆さんと坊主の肖像画を描き、なんとも言え無い気分にもなっていた。夜の明けるのも待ちきれず薬局に飛び込み鎮痛剤ハイゲレランを求め、十錠ほどウイスキーで胃に流しこんだ。「現在の非ピリン系は駄目」しばらくすると身体が揺れ、心が揺れ、いつの間にか俺自身も倉敷行きの汽車に揺られていた・・


倉敷商店街では喫茶店のガラスに映る己が姿に微笑し、会釈する余裕も出てきた。出てきたといえば美観地区はすごい人出で、倉敷川の川辺に並ぶ土蔵群や白壁の商家に感嘆の声をあげておる。それはそうだう。牢獄の管理システムから生まれた団地やマンションに馴染むのは家ダニぐらいで、所詮人は馴染めないである。それゆえここには慰撫されるものがまだ残っているのだ。それにも増して観光客を慰撫するのは迎える人達の姿勢である。酔言を吐けば道端に並んでいるアクセサリーの若者は客の喜ぶ顔を見た一心で良い作品を作り、美術館の館員は芸術鑑賞を心いくまで味わえるよう気を使い、喫茶ウエダは美味しいコーヒを飲ませようと余念なく、塚村酒店の老刀自は酒飲みの健康を案じ、誓願寺の住職はお経をあげるたびに泣く。彼等は自分の仕事に誇りを持ち、他人の仕事を尊び信じあっているように見える。一人一人がカレーの市民のように見えるのだ。


2007/08/17(金) 倉敷にがおえエレジー 題14回
画家F先生の紹介で、文化人K氏宅の隠居に腰を落ち着けた。部屋は母屋より遠く離れ、ビワや柿の木が鬱蒼と繁り、裏は隣の酒倉がピッチリ喰っ付いているものだから昼でも暗い。天窓はあるにはあるが座敷牢だ。
しかし、その時の俺は四方八方のタカマチ・香具師・テンプラ学生の花車に担がれる事に飽き飽きしていた。キザに言えばあらゆる情報過多で分裂、混乱、自らの主体によって論理を構築することも、血を造ることも出来なくなっている自分に苛立っていたと言ってもよい。故にけむる煙に目もくされる座敷牢であればあるほど俺の心を癒してくれるのだ。K氏は「駆け落ちするなら津山にきんちゃい」という言葉がここにあって、昔から落人や駆け落ち者を匿ったと胸を張る。しかし、ヒネクレ者の俺に取っては住めば住むほど、この言葉は逆説的ユートピアに思えて仕方がないのだ。
例えば「間引きの多いのは日向と美作」「百姓一揆の多発」「七夕祭りのタブー」「炬燵商売」「官尊民卑的ヒエラルキー」等々。こういう悪評は美作人が何時も自分を他人より、一段高い所におく気風が絡みあって現出したと見てよいのではないか。この自意識過剰の事情を作家・立原正明氏が辛辣に述べておられるので割愛するが、とにかくこういう中にトップリ浸かっていると物狂おしくなってくるのだ。
とくに友人が訪ねてきたときは血がジェット機のごとく急上昇、例の蓬髪に日蓮ヒゲ、おまけにステッキで津山の町を徘徊するのである。俺が傲慢な顔つきで歩いているのを見て、何の為に威張っているのかおそらく町の人は馬鹿にしていただろう。しかし、俺はこの空威張りでやっと寂しきところより助かっていたのだ。

2007/08/16(木) 倉敷にがおえエレジー 題13回
美作森五代藩主衆利が狂乱、断絶後、赤穂・浅野家に仕官したのが神埼与五郎だ。逆に祭りから祭りで狂乱、赤穂から美作に入らんとするのが蓬頭エカキ事この俺である。与五郎は死後、忠臣蔵四十七士の一人として名をあげるのだが、俺は前回で葬式あげたばかりなのに一向名はあがらない。ホトケとはあらゆる制約からホドケた人
の事だそうだが、ホドケルどころか持て余した身を津山線に預けるていたらくである。だがこの道は昔、出雲街道とも云い隠岐ノ島に配流途上の後醍醐天皇始め法然、紫式部、オランダお稲、千利休、赤松燐作、セン・片山、薄田泣菫、谷崎潤一郎等々が往来しており、この道が偲ばれるのだ。無論、こういう有名人はごく一握りで、大半は無
名で俺みたいな人生座挫者や行商人、時には罪人や駆け落ち者もいたはずである。道とは未知であり、いわんや業深く人生を呪い悔恨を抱いた旅人はどんな思いで行く先を予測したか。「人の世の旅は冬の旅。一条の光もなき闇
の中を我等は道を求め往く」まさに詩人セリエーヌ歌うような旅だったかもしれず、それを思うと又、感慨深いのだ。

2007/08/11(土) 倉敷にがおえエレジー 題12回
なんでも岡山のF先生が「肖像画の手伝いをしてくれ」という話もある。そうだ、居を岡山に移し土・日ぐらい美観地区に行ってニガオエを描く。酒は少々に控え、女にも手を出さず聖人君子みたいなエカキになって倉敷の人々に愛されるのだ。そしてある日突然、ニガオエを描き終わった時、瞑目の後、即心成仏といこう。そこでだ、俺の葬式が始まる。男子一生、一度は虚栄の旗印を振りかざせと言ったのは太宰治だが、ここは俺の生涯通じてもっともドラマチックな一幕といきたい所である。それにはやはり寅さんにあやかって山田洋次演出風でいこう。


 さあ、出発だ! 一番先頭の船には俺の棺桶だ。二番目は姉のサクラと兄の豊。そしてチモトコーヒー、甜心堂ちもと、ちもと画廊、地本屋旅館等ちもとチエーン一同。ああ、バスク老や星の王子さまはその頃死んでかたずいている。後の三艘にはハッピ、鉢巻した阿智神杜氏っ子の威勢のよい若い衆、笛、太鼓、三味線の鳴り物入りで騒がしいことこの上ない。一方、土手の上では川西町あたりの綺麗どころ二・三十のスインキョウ踊り。天領太鼓も鼓膜がやぶれよと鳴り出し、それが合図か五艘の船が一切に倉敷川を下りだした。エンヤドットエンヤドット、岡崎さまのヨォーーー向山と鶴形山で今や遅しと待っていた花火屋が大筒
におもいをこめて火をつけた。スーススス、パパパパーン、玉や・・・・・・・パーーッと散ってパーラパラパラ。それを見ていた観光客が隣のオヤジに「今日はお祭りだっか?」と聞いておる。「なにっ、ボッケーアル中のニガオエ描きが死んだだけじゃ・・・」答えるオヤジに心なしか目尻に光るものがある。パパーパーン、パーン空中で割れた花火より無数の一万円札が花開く。大道で得たモノは大道へお返しする、それが俺の持論だ。足腰まがったジィさんもミンクのコートを着た御婦人も、店員も主人も駆けつける。そこには平常の取繕った顔も姿もない、己が心開放があるだけだ。さきほどのオヤジも例外ではない。やっとの思いでヒラッタ紙には「面白しくない世の中を面白くするが人間のつとめじゃ」と書いてあり、そして隅に小さく「あの世にも旨い酒と粋な女はいるかしら・・・」そんな騒ぎの中、五艘の船は下がっていく。その先にある市営粗大ゴミ焼却炉の煙突が、勢いよく真っ黒い煙りを吐き出した・・・・・・・・実に明るい朗らかな青空である。
                   

2007/08/10(金) 倉敷にがおえエレジー 題11回
山田洋次監督描く「男はつらいよ」の渥美清演じる寅さんなら「ケッコー毛だらけ猫灰だらけ、お尻の廻りはクソだらけってぬぇ。おばさん・・・まかった数字はこれだけ、一声千両といいたいね。オイ、ダメか?八百・・・六百、よし・・・浅野内匠頭じゃないが腹切ったつもりで五百両だ。持っていけっ、泥棒!」とこう言うだろう。彼もまた各地でお祭り「タカマチ」や縁日で、このような口上で品物を売る事を商いとするテキヤである。これは的屋とも書き「うまく当たれば儲かる者」といった意味にも通じる商売で、その元締めの親分と子分は「神農道」をうたい、「何々一家」といった名をなのる。つまりヤクザの世界にも通じるような一面も持っているのは確かなようだ。無論、人の良い金魚すくいの叔父さんや、甘栗屋の叔母さん等もいるが、テキヤはヤクザ、ヤクザは反社会的暴力集団。ふつう社会市民がイメージするテキヤの最大公約数はこんな図式であろう。

俺だって例外ではない。とくにチャクトウと言って場所を貰いに行く時が一番緊張する。受付場所ではパンチパーマの男達が入り混じりテントの中は空気が極めて薄く、俺達はそれだけで酸欠状態の金魚になつた。そして一列のウンコになってただ「似顔絵描きですが・・・よろしくお願いします」と頭を下げるしかないのだ。ここには烈しい掟がある。だが寅さん映画で見る限り「テキヤ」の世界、渡世の義理というものは何時でもいとも簡単に寅の都合のよいように、その世界に入ったり出たりしてしまうのである。所詮、寅の
香具師はドラマトウルギーの上に成立しており、自然リアリズム論で検討するほど馬鹿げた事はない。「映画はひたすらそれを見る人の幸せを願って作らねばならない」「人を楽しませるのが芸術」だと柳田国男の言葉を座右の銘にしている氏のことだから、一笑に附されてしまうであろう。故に寅が義理「建前」と人情「本音」を御都合主義において、取っ換え、引っ換えしても誰も怒らない。反対に「しょうがねぇなぁ、寅さんは!」と自分の中にある寅さんを許容し、カタルシスの作用でシンドさを解消しつつ、映画館の暗闇で思わず涙ぐむのである。ここに二十数年近くも汎国民的な映画となりえた秘密が隠されているのだと思う。しかし、しかし、この映画は後何年続くのだろう。例えば四十年代の神であった「網走番外
地」の高倉健が年を感じさせたとき、シリーズの命は終わったように、寅さん演じる渥美清も老いぼれ、足腰萎え異郷でと・・・想像するだけでそこには笑いがない。そこには憐れみがあるだけだ。ひるがえって俺も祭りから祭りの生活を続けて十数年、もうソロソロ有封にはいってもいい時分だろう・・・・

2007/08/09(木) 倉敷にがおえエレジー 題10回
明るい朗らかな青空だ。
 祭りは赤穂義士を偲んで、四十七士の行列が大石神社から駅前を廻り、花岳寺まで行進するのだがそれを見ようと沿道に多くの人々が溢れかえっておる。それ以上、お祭りムードを盛り上げているが言わずと知れた露店の数々だ。赤、青,黄、色とりどりのテントの中ではお好み焼き、カルメ焼き、焼きソバ等など何処か昔懐かしい匂いが立ち込めておる。大人の顔は童心に返ったごとく生き生き輝き、況や子供の眼は次なる獲物を求めて、のし歩くケモノのようでもある。ここには絶えず追いまくられ、せせこましい生き方を強制された現代人が忘れ去ろうとするモノ、すっかり失ったモノ。あえて言えば変態的飽食文化が奪いさろうとするモノがある。つまり大人も子供も管理社会の時間割りから抜け出し、誰憚ることなく「懐かしき無礼講」の中にとっぷり浸かる事ができるのだ。ある露店商が言う「俺達は夢をを売っているのだ。懐かしさと郷愁の匂いを売っているのだ」と。たしかにここではワルプルギスの夜が一杯あって、道化の猿が跳びはねまわっている・


2007/08/08(水) 倉敷にがおえエレジー 題9回
駅の片隅に何時の間に来たのか、雲水姿の老人が座禅でもするように読書していた。驚いたことにその容貌風采たるやまことに古色蒼然、狐影瓢ひょうだ。とくに怪しげなる着物は、過去において黒かったという事実を危うく忘却させるくらい、古色を帯びたものであった。やはりさきほどの鼻ボテ警官がただ汚い格好している判断からであろう。無遠慮な職務質問を始めだした。「そりゃ、乞食だ、浮浪罪だ」警官のエキセントリックな声が聞こえる・・・・老雲水黙っていたが、急に・・・

 「拙僧を乞食と呼んでもよろしい。そなた達も鎧で身を固めていなさるが、人間、みな裸になれば乞うて喰うて生きているのしゃ。今日まで全国津津浦々、浄財を集め禅堂建立のため行脚してきた訳だがそれが罪になるというなら、あえて言葉を呈そう。まず周の禮学からやって頂きたい。民を治めるには笛を吹き、銅鑼を叩いて祀りごとをおこなったのじゃ、それが治国統民の極致だったのだ。お解かり申したか・・」老雲水の意外な反撃に警官は呆気にとられておる。考えてみると蓬頭垢面の乞食エカキ、そして老雲水。これらを見たら世のどのような積極主義者でも、その一瞬に玉手箱は開かれショーペンハウエルの虜になるのではないか。「お前達の行く末は野垂れ死にだ・・・」警官は厄病神を振り払うごとく、捨てゼリフを残して立ち去って行った。

 「雲水とは底の底まで落ちる行なんじゃ。乞食の心にまで下がって物乞いをし、己を最下等の人間の立場に置く事によって、そこで始めて人の親切や暖かさがわかる。大自然の摂理と恩恵に感謝する気持ちも湧く。人間乞食になるがよろしい。それには義務教育を終えた青年子女に一年程の放浪、あるいは歩き遍路になることを申し述べたい。つまり流転即成長じゃ」この老雲水は人間は一度集団から離脱して、山河草木の自然界に自己を放つことが生の本源に帰する生き方だと言いたいのだろう。すれば我々大道絵師は一刻たり
とも雨降って地固まる事はありえない。雨降って地流れるの心意気だ。なんでもドイツの社会学者であるテオドル・ガイガーによると放浪者を政治や芸術、教育面における指導的知識人と並べて論じるべきだとも提唱しておる。ハルマゲドンを経過する事なく、人々を後史文明に送りだすためにも、今、我々は生物の次元でモノを考えねばらぬ時期に来ているのではないだろうか。

 乞食エカキは二日酔いのボンヤリした頭で溜息をつく。眼ヤニをこする。尻の下のクシャクシャの新聞紙の上でアクビをする。夜が明け雲が飛ぶ。乞食と乞食の別れはサッパリしたものだ。「恙無きよう・・・・」の一言で南北隔てるのだ。故に老雲水の未来のページがどんな事が書かれているのか俺は知らない。ただ迂曲転回していく俺の舟先はまだまだ怪しげな処へ没入していくのである。
                     


2007/08/07(火) 倉敷にがおえエレジー 題8回
「まぶしいな・・・」眼を開けると、この真夜中に警官が二人、不審そうな顔をして立っているじゃないか。懐中電灯を突き出し、腰はヘッピリだ。横を見ると、迷宮は例によって「悲哀」そのもののような眼つきをし、田島は土の中に潜った蛙が俄かに掘り起こされたとでもいうような面構えだ。「あんた達、何しているの?」「何しているって、ごらんの通り寝てますけど」「・・・・・・・?」二人の警官とも、口を半開きにしてまるで鳩が豆鉄砲を喰ったような面持ちである。「イヤ、仕事は何をしているのかと聞いておる」こんな風来旅をしていると度々こんな職務質問がある。故に俺は馴れたもので頭鉈袋をヒックリ返し、有名人の似顔絵、スケッチブ
ック、筆入れ等を順序よく並べ「人の顔をデッサンし、それと引き換えに金を貰って旅している。つまり似顔絵かきです」と素直に言うたもんだ。それは俺が宿命論の信者だから何でも因縁だと諦めることにしているからである。水素と酸素が結合して水になるのも因縁だ。こうして警官がやってくるのも前世の因縁だと思うと腹が立たない。俺の思想はかくのごとく簡単であり明瞭である。ところが明瞭でないのは彼等である。今度は野外イーゼルを風呂敷に巻いたものに眼を付け「開けて見ろ」という。顔の真ん中に芋虫みたいなボテボテした鼻が座禅し、鼻ばありの警官がだ。彼にすればその物体に猟銃でも入っていると考えたのかも知れない。しかし、大道ニガオエ描きにとってイーゼルとは、サムライの刀、釣り師の竿、色男のネクタイみたいなもので絶対の必需品なのだ。迷宮独特の紆余曲折的な説明に警官はウンザリしたのだろう。「ニガオエ描き?そんな事して何の役に立つ、もっと建設的なことをせんとオエン」いかにも不機嫌にいってグルッとあたりを見回した。

8月絵日記の続き


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