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2007/07/07(土)
先輩画家のリスボン便り
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日本では絵描きは暮らしにくい。自分で過去を考えてもどうして生きてきたかわからないほど苦しかったのです。だが絵筆を捨てず、絵画教室もやらず、何とかかんとか70まで生きています。しかし最近は絵が売れないでもっと苦しくなっています。 それで他国で絵描きとして生きる道はないかと考えていた。ともかく生きて食べて絵を描けるのである。ヨーロッパでは絵描きは食えるか。アメリカではどうだろうか。それでポルトガルに縁があって一月滞在させてもらった。 観光ビザで似顔絵などできないし絵を売ることもできない。しかしお世話になった家を見ると、実に広く天井が高い。ほとんど白壁の漆喰塗りである。間取りは10畳くらいの寝室が4つある。キッチンも同じくらいである。そして応接間は一番広く25畳くらいある。バルコニーもついている。トイレはシャワー室についているが男女二つの便器がある。そのトイレは2つあり一つはお客さん用である。一部屋はお客さん用として開けている。 これが平均的なサラリーマンの間取りである。この方のマンションは買い取ったものだが家賃はどのくらいかまでは知らないが日本の都会と比べれば非常に安いという。 このくらい広い家だし壁が大きいので絵を掛けねば殺風景でやりきれない。どうしても絵が生活必需品なのである。だから普通は写真や名画の印刷されたものを額に入れたり、美しい皿などを掛けているだろう。 私は街角やダウンタウンで毎日絵を描いていた。実は地べたに風呂敷を広げてその上に尻餅をついて描いていたので乞食のような格好である。しかし写生をしていると通りがかりの人が必ず見てゆく。そして少なくない人が「クワント」と札を数えるまねをする。クワントとは買いたいという意味である。 私は「ノン」と答える。しかしあるレストランの前で描いているとどうしても「売ってくれ」というのであった。いくらかと向こうが聞くがいくらにすればいいのかわからない。”Say You.”というとはじめ10ユーロを出した。黙っていると20ユーロを出した。4000円である。不承無承売ってしまった。 売る気ならば町で絵を描けば毎日売れるだろう。ひょっとしてヨーロッパでは一人口ならば貧乏をしながら絵を描いて生きてゆけるかもしれないと思ったのである。 日本ではそうは行かない。写生をしていると見には来るが感心して去ってしまうだけである。レストランにかかっている絵を見た。実に下手な絵である。展覧会も見た。ろくな絵はない。画家にも会った。下手ではないが怖くもない。今、ポルトガルで暮らそうか。それとも物価の超安いマレーシアで暮らそうかと思案している。マレーシアならば私の年金一か月6万円で豪勢にに暮らせるんだから。しかし初めてこの足で歩いたヨーロッパの片隅は人間がおおらかで風景も女性も美しい。 どちらにせよ、日本で心配ばかりして暮らすよりは絵描きも生きて行ける気楽な国が地球上にあると思うことになった。日本には絵描きが生きる土壌はない。働く人がヒーヒー言っている国だから。
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