美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/06/03(日) 似顔絵の歴史 @
似顔絵の歴史1古今東西の似顔絵

 「似顔絵漂流記」で玉川しんめい氏は次のように書いている。
 「肖像画の歴史まで遡れば、遠く奈良朝の聖徳太子像以来と言うことになりかねないのであるが、現在の似顔絵という商売が成立して、絵師が街頭に立ち始めたのは、どうも大正期以降という事らしい。それは昭和二年に服部亮英という漫画家が「似顔絵雲水」なる本を書いていて、本人は関東大震災後に風の吹くままに人の似顔絵を描いて全国行脚を試みているのであるがその中で次のように述べている。

 「似顔絵の流行はもう全国的になった。我々はこの運動の先駆者である」
 「大正八年だったと思う。静岡民友新報に川瀬蘇北氏がおられた頃、大坂漫展の帰りに立ち寄って、この地では初めて漫画展覧会を開催した。その席上で常時静岡市の名士の似顔絵を描いた事があった」
 「時の内務部長、駅長、助役、検事、等の顔が数分間に描かれると直ぐ会場の一隅に張り出された。大勢の男女学生はやんやと押し寄せて、似てる似てないと、御本人のモデルを側にして批評していた」
 「似顔絵を民衆の前で描いたのは、恐らくこの時が初めてで、東京ではまだみられなかった。云わば静岡は漫画似顔絵の民衆化としての酵母の地であり、かくして近代似顔絵の発祥は大正中期にあると考えられる」

 少々、引用がながくなったが、確かに似顔絵が盛んになったのは大正中期頃からで、例えば詩人の金子光晴が渡欧の際、金の無いときは船の中で似顔絵を描いたというが、彼にすれば東京美術学校時代から浮世絵師の小林清親に師事しているぐらいだから似顔絵ぐらい簡単な事であったろう。
 またその頃、哲人ジャーナリスト松尾邦乃助がパリ滞在中、サンチェスという大道似顔絵師にカルカチュア風の似顔絵を描いて貰っている所をみるとヨーロッパでもボツボツ大道似顔絵師が出て来たものと推測する。
 前衛画家・岡本太郎の父・一平も明治のポンチ絵から脱して、軽妙洒脱な風刺似顔絵で新生面を開いたのも大正時代で、その辺りより近藤日出造や清水昆等の似顔絵の大家が出てくるのだ。
 そこで俺は俺なりに戦前・戦後から平成まで続く似顔絵師列伝を考察しょうという訳だ。



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