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2007/05/28(月)
40年前の日記より。
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やっと重い腰をあげる。 しかし考えてみると今日は啓螫の日で、虫や草が冬眠から醒めて活動を始める時、すれば俺もまったく一匹の虫けらみたいな存在なのかもしれない。 蓬髪に無精ヒゲ、ウス汚れた鼠色のコート(笑う奴は笑うがよい。俺はコートのボタンをひとつワザと毟り取る事も忘れなかった。絵を描くのに精一杯で生活に疲れ、少し荒んだ陰影を己が姿に与えたかったのだ。)そしてニガオエ道具の入っている頭侘袋。おまけに煎餅みたいな下駄には垢のたまった親指が周囲の景色を窺っておる・・・・これが俺の旅立ちの晴れ姿だ。 それでも姫路駅ではだらしなく垂れ下がったヒゲを、タマゴの白身でひねり上げることを思いついた。これからは人様の前に出るのである。いくら何でも日蓮宗のお題目みたいなヒゲでは申し訳ない。売店でネギを刻んでいた小母さんに「タマゴの殻をくれ!」と言ったら「タマゴの殻けっ!」と眼をドングリのように見開いておる。 初仕事は大阪のアベノ銀座。マヨちゃんというオカマがやって来て二・三年前、俺にニガオエを描いてもらったわと言う。勿論、その時は男の姿で。 このマヨちゃん、「オカマは釜が先のカマではなく梵語で愛欲の意味が、カーマだからオカマと言うのよ」と中々の物知り。 ちなみに彼女の名はイイオカ・マヨといい、「自分は無力で、日本にも絶望しているわ」が口癖で立派なニヒリストであった。 (三月五日 廃屋ー大阪)
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