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2007/05/30(水)
40年前の似顔絵日記
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アベノの横断橋で「ワタシハ、アメリカノガクセイデス。ヒッチハイクデ、ニホンノオテラヲ、シラベテイマス。カンパヨロシク」という紙きれを前に外人が座り込んでおる。通りがかった婦人が「まあ、まあ、立派な外人さんだ・・」と五百円札を箱に入れてやっており、その中には千円札も入っているようで、俺は「この野郎!!」と思った。ニガオエなんかは一生懸命描いてやっと八百円なのだ。よし、ひとつ懲らしめてやれと外人の前でうら憶えの般若心経を唱えだした・・・・ 「ギャテイ、ぎゃてい、はらぎゃてい・・・」そして持っていた杖を頭上高く振り上げて「カツゥ・・!!」しかし、この外人ウンともスンとも言わぬ。「気違いとバカは相手にするな」という考えは外国にもあるのだろう。 ・・・・後でこの外人と飲みにいってわかったのだが、彼は混血児でYAWASAKIという日本名まであって、英語はぜんぜん駄目との事だ。 「そうか、セニョールも新宿でニガオエを描いていたのか。俺もグリーンハウスでボンドを売っていた。俺のはアメリカ直輸入というふれこみだから人気があったさ。しかし、悲しいかな、ポリ公にパクラレ今は執行猶予の身、東京はヤバイので都落ちというわけさ・・・・セニョールはこんな歌を知ってるかい」
明けて十九の春先に 見知らぬズベ公に惚れられて 金に困った そのあげく 一に恐喝 二に窃盗 三の裁きにあげられて サツに追われる ヤバイ身に かばってくれた まぶいスケ 花の都は 大東京 聞いておくれよ オイラの歌を
混血児は乱暴で反抗心が強いと言われている。この山崎君もそんな一人なのかも知れない。人々との断絶を深く心の奥底に眠りこませ「乞食」することにおいて、一切の権威を否定し、自己のみを信じて生きているのではないだろうか。 ベ平連「なんだいべ」へこの山崎君を連れて行くと寝ていた運平君、寝ぼけ顔で「イントレピッドの脱走兵ですか?」まさしくこの山崎君も戦争犠牲者の一人なのである。 (三月七日 大阪)
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