美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/04/02(月) 40年前の美観地区日記より。 終章
ブックス評論・「モンマルトルの丘は観光客相手の画家で賑わう。日本でも七・八年前までは銀座四丁目界隈で似顔絵師達がイーゼルを立てかけ、通行人の足の止まるのを待ち構えていたものだ。今はほとんど見かけなくなった。のどかに似顔絵の出来上がりを待つ心や時間のゆとりがもうないのか。銀ブラも死語になってしまって、心の遊びとは無縁の雑踏の街になり果てたという事か。
 今は昔・・・上野や浅草、銀座、新宿とベレー帽をかぶった街の絵師達の仲間に、七十年代初めのヒッピームービメントを経験した新種の似顔絵師が加わるようになった。
 この本の主役ヒッピー風似顔絵師ガタロー事チモト・ヒロシもそんな一人で、丁度「越中ばんどり騒動記」に取材に来ていた玉川しんめい氏と地元の変わり者が出入りする喫茶「ボロ」であったのも神の配剤であったろう。しかも初対面ながら十年来の知己に巡り会ったように話が弾んだ。それもそのはず、ガタローが信望する人物を書いた愛読書「評伝・辻潤」の著者は、誰あろう目の前の玉川さん。それが別れぎわに分かり、二人とも合点したのである。


 ガタローの話は、なぜ似顔絵師になったのか。似顔絵師は一ヶ月どのくらい稼げるのか。どのようにして客を勧誘するのか。旅に出る時は何処に行くのか。
 一人で聞くには勿体ないような、面白い人生放浪記だった。
 ガタローは四十歳、四年前から倉敷を日本のモンマルトルにしょうと、大原美術館前で似顔絵を描いている。
 「似顔絵が一番受けたのは、高度経済成長がピークに達して、そろそろ崩れかけた昭和五十年頃です。当時はどんな下手くそな絵師にも客が並ぶほどでした。」と。
 彼は高校を中退して大坂美術研究所に通いながらアルバイトをしていた時、ホテルのパーティ会場で似顔絵を描く仕事が舞い込んだ。二・三時間で良い稼ぎになった。以来、二十年間、来る日も来る日も他人の顔との付き合いの始まりだった。持って生まれた陽気な性格も、大道で未知の客とのコミニュケーションをはかるにはうってつけだった。玉川さんがガタローの側に立って客のやりとりを聞いていると、話術ショーを聞いている趣があった。

 彼は初め京阪神、そして東京へと移動していたが、都市開発や道交法、それに都会人の心のゆとりなさに嫌気がさし、全国的に露店商が繰り込むお祭りに行くと、相当な稼ぎになる事がわかった。以来、映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さんと同じである。
 ただ絵を描くのが好き、人と話すのが好き、旅に出るのが好きというだけでなく、似顔絵描きとしての生き方を選んだのはガタローなりの人生哲学があった。もし、この世に似顔絵師の様な大道芸がなければ、画一的な管理社会が出来上がるだけで、息抜きというモノがなくなってしまう。そんな四角四面の社会では、人々だってやっていけないのではないだろうか、と。


 又、玉川さんの人生哲学とも波長が合ったに違いない。ジャーナリストでもある玉川さんに依れば地域別似顔絵師列伝と、各県人別の名字と性格、体型の違いを一覧表にした章はガタローが二十年をかけて体得した人物判断で、一読のもとに読者にも理解させる貴重な報告だそうだ。

 ではガタロー語録を二・三紹介する。
 「顔ではなく人を見よ。が似顔絵の極意で、それは瞬視にある」
 「似せようとしても駄目、人の顔なんて多少残酷に扱った方が良い」
 「僅かな人間で決めた賞なんて、そうたいした名誉ではない。俺のほしいのは大衆の喝采だ」
 「あってもなくってもよい、と言うのが大道絵師、それを命がけでやる」等々。

 そしてガタローは最後にこういうのだ。
「日本人は戦後本当に平和と幸せをかちえてきたのか?それを問うために、やがてこの倉敷も出て四国八十八ケ所の旅に出たい・・と。
 それは弘法大師の遍歴した後を追って、行きあう人はいうに及ばず、草木虫魚に到るまで合掌しながら、人の魂を打つような形を求めていきたい、と。道なき道を行く戦士、オフロード・アドペンチャラーよ。いや、孤独で自由な渡り鳥よ、すこやかに飛んでくれ!・・・・」


 どれもこれも穴があれば入りたいような批評であるが、俺自体、常に夢に現れるのは死んで逝った大道似顔絵師の事ばかりてある。いそがなければならない。俺にとっては死者達の世界こそ花ざかりなのだから・・・


本当に皆さん、長い間トビをよごしてすみませんでした。しかし、目暗千人に目明き一人とは良く言ったもので私を理解してださる良き友も出来、たくさん注文頂きました。鳥取の方が多いのはどうしたのでしょか。
 いずれにしろありがとう御座いました。       チモト・宏拝


本はこちらで手にはいります。
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/03662740


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