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2007/04/14(土)
ホームレス画家のホームレス訪問記 I
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なるほど子供は皆でそだてるか。
中国の古い知恵でも「親を替えて育てる」と言う諺がある。あの日露戦争で有名な乃木希典将軍も、父親は登校拒否の希典の教育を、叔父の玉木文之進に託している。日本でも成人に達すると「青年宿」みたいな所でしごかれたものだ。
「何!!ここには学級崩壊とかでノイローゼになった元・先生もおりまっせ」 サブ爺さんは目を見開いておっしゃる。 「ところでサブさん、釣り好きの岩さんは?」 「ああ、岩さんか。この間の台風でテントを飛ばされよって・・・・何でも南港へ行くと言って出ていきよりましたわ」 「・・・・・・・」
岩さんとは四十がらみの中年の男で雨宿りさせて貰った人である。
彼は瀬戸内海の岩国の人で漁師だったそうである。ところが岩国では東洋紡の工場が進出してきて汚染源のため、海の魚がすべて死滅したというのである。そこで東洋紡が死滅した魚を買い上げることに話がついたらしい。 それから毎日、漁船が帰ってくると、工場のトラックが待っている。魚種ごとに魚の目方をはかったあと、工場にはこび、タンクに汚染魚を捨てる。悪臭を放つ魚に、市場値の金が払われる。 はじめのうちは、取れば取るほど金になるので、精を出して出漁する人もいた。が、やがて漁師たちの疑いがふくらんでくる。毎日、海に出るのは、捨てるための魚を取るためではない。金になりさえすればよいと、いつまでも割り切れるものではない。たとえささやかでも、自分の仕事に何らかの意味がなくては生きていけない。 「何のための人生か。漁民だっておいしい魚を食べてほしいのだ」「情けのうて涙が出ます」と言い、そこを飛び出してこういうホームレスをしいるのだ。 しかし、船員保険があるので何とかやっていけるが、もう一度、おいしい魚を取りたいと、とおっしゃっていた人だ。
俺は彼の話を聞きながらロシアの作家ドストエフスキーの「死の家の記録」だったと思う。囚人に苦役を科し、土の山を別の場所に移し、またもとの山に戻すといった仕事を繰り返させたら、数日で首をくくって死ぬだろう、 これほど残酷な仕事はない。目的や意味があれば、たとえ苦しいことでも我慢するが、まったく無意味なことを自分で知っていて、しかも努力することはできない。それを強制されれば、ついに自分が自分自身に反抗するようになるだろう。この半ホームレス男はホームレスすることで反抗しているのであろうか。ともう一度会いたかったのだが・・・
「カンジザイ、ボサツ、イッサイ、クヤク、シャリシ、・・・・イッサイ、クウ」
いつの間に来たのか、網代笠、黒衣を着た坊主が通勤、通学者に「般若心教」を唱えだした。その中にきらびやかなコスチュームを着た「嵐」ファンも混じっている。
「サブさん。ラーメン十箱持って来たから後で取りに来て・・オレは仕事するわ」
イッサイ、クウ・・・・・・か。
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