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2007/03/08(木)
40年前の美観地区日記より。 六十七回
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ところで先ほどから天皇、天皇と言っているのに読者は奇異感じられていると思うので、脱線気味だが説明する。
彼が常に言っているのは「君らは東北人をバカにするが、東北こそ日本の先進地帯であったのだ」と。
ちょっと難しいが続ける・・・ 「大和の首長であった安日彦(やすひこ)長髄彦 (ながすねひこ)兄弟が九州に突然現れた神武の東征によって、北に追われるのだが、結局彼等は東北にアラハバキ王朝を形成する。そこは天然の良港十三港に恵まれ、朝鮮半島や大陸との交易を盛んに行い、異文化に彩られた大きな都市だった訳だ。又、食料も稲は植物派農法を知悉しており、サケ、マス等も豊富で富を貯蓄する必要もなく、自然との共存の中、信仰もアニニズムでのち神道でいう八百万神(やおろずのかみ)につながるのだ。
また社会は完全な原始共産制で「吾が一族の血肉は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」を福沢諭吉より何千年前に実行していたのである。 エセ学者どもの「大和朝廷の歴史教育」に汚染されているから高天原が九州とか、大和とか、つまらぬ議論をしているが、東北にはそれより上等の最上原があったのだ・・・・云々」と何度もいうものだから、我々似顔絵かきは「又、彼の天皇論が始まった。とソッポを向き、あるものは「戦後出た南朝第二十二代の直系と称した熊沢信彦天皇の再来だ! 」という奴もいる訳である。
たしかに彼の書いているのは「古史古伝」(古事記や日本書記等の様な御用学者を経緯したものではなく非公認の超古代関係の資料をいう)を元にした本である。 だが古史古伝と云うのはとうしても誇大妄想体系に傾きがちで、例えば分裂病者が現実の両親を認めず、神の子であるとか、皇帝の落胤であるとか称する血統妄想と同じように己自身の神話こそ真実でなければならなかった。傍からどれほどおかしな不合理なものに見えようとも、妄想体系が維持されるのは、内的自己の独自性を支える為に必要だからである。 故にこの世界はどのように足掻いても、文化の起源について、どのような理論を立てようとも実証も反証も出来ないのがこの世界の弱点ではなかろうか。
しかし、何はともあれ出口王仁三郎にしろ、南方熊楠にしろ肥大した自我を燃焼し続け偉業を成し遂げたのである。 清原にしろ、今尚、それを続行中なのである。
俺はこういう人間には文句なしに頭を下げるのだ。
翌日、清原天皇がやって来た。相変わらず怪異な風貌に買い物車を引っ張り、さすがに寒いのか蚊帳ごとき着物の上にドテラを着ておった。 開口一番「ミョーケンへ行っていてね」と言う。 「ミョーケン?」俺は余り突飛な言葉でミミズが腹痛を起こした様な哀れな声で聞き返した。 「君は倉敷に住んでいて妙見さんも知らないのか。妙見とは阿智神社の事だ。浅原安養寺を毘沙門天、帯江不洗寺を観音さん、日間寺をお薬師と言うのだよ」
たしかに彼は八宗兼学でも気がすまぬ。ニガオエ商売をなしつつ諸国の風俗、伝説口碑を聞き「日本創生記」に書き加えつつあるのである。
故にただただ頭が下がるばかりである・・・
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