美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007年3月
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2007/03/06(火) 40年前の美観地区日記より。 六十五回
30 ニガオエ天一坊 清原天皇の生涯@

 「謹啓、遂に出現! 言語学、歴史、宗教の各分野に一大衝撃を与える開闢以来の未曾有の奇書。併しして貴君は唯物無我論的合理主義オミコシ担ぎの手前、コソコソと我が天日のごとき大真理から逃げようとするのか初めに五十部、次は三十部、そして一部も配布不可能とは情けない男也。確かにそこは大政翼賛会発祥の地であり、難しいだろうが、宗教色の濃い土地柄でもあるはずだ。要するに金銭労力の問題ではなく、世間体を繕い、事なかれ主義的に世の中を紡いで行こうとする君の方針に疑惑を感ずるのだ。その上、文化国家的奴隷根性が強く、マルクスとか、実存主義とか、抽象的文化とか、愚にもつかない西洋外道のカスみたいなものを有りたがって拝蹲する事になり、そしてコペルニクス的新学説を誹謗し、彼を処刑する様な失態に陥るのだ。ともあれ今の私は東京の借家を追い出され、ここ京大・熊野寮も立ち退かねばならぬ宿無しの境遇故そちらで厄介になりたし。文章で言えない事はその折に・・」


 清原天皇の一方的な手紙で、時、昭和五十六年晩秋の事で荷物と一緒に転がりこんできた訳である。


 その頃の俺はここ倉敷に引っ越して間なく、自慢じゃないが俺一人喰うのがやっとの事で、家賃も日払い?というていたらくだった。そこへ食客遠方より来た故、まるで首吊り男の足を引っ張りに来た様なものである。

 しかし反面精神的に浮かぼうか沈もうか、もがいていた矢先で、年来の友人に会える方が嬉しかった。

 俺に言わせると天地間で尊敬出来る人物は、何でも大本教の出口王仁三郎と博物学の巨人というより怪物の南方熊楠。その次がこの清原天皇で、そういえば三人ともよく顔付きが似ているように思えるのだ。故に相談しがいがあると思った訳である。



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