美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/03/31(土) 40年前の美観地区日記より。 八十九回
ところが近年の社会は高度成長という虚構のローラーでならした様に画一化され、人間の生活圏を一部を為してきた(異界)というモノを徹底的に隔離されつつあったのだ。
 ちなみにここで云う(異界)とは人間が互いの間のアンビヴァラントな違和のため身動きならなかった人間同士は、共同体異界とに違和の関係を負わせ代行させる事によって連帯を存在論的に可能なモノとして己達を「人間」への構造化してきた事をさす。まあ、分かり易くいえば潤滑油だな。具体的な例としてはアウトサイダー、大道芸人、露天商、ホームレス、破壊坊主、一種のエセ宗教家およぴ芸術家。最近ではノマドといった精神状況の一群も含まれるであろう。

 彼等の存在はあらゆる怠惰な日常性に生きる人達に対して、手垢のついた愛や真実を破壊し、社会に依って飼い馴らされた抑圧を、心の解毒剤として神聖な力に転化する効用はアリストレスのカタルシス(浄化)の思想を紐解くまでもない。

 一見華やかで、良い事ずくめの繁栄の虚構裏には予備軍としての底辺で生きる(異人)あり様を注目することで見抜かれる。この方法は事実解明の鉄則であって、彼等は現代のカナリアであるのだ。ちなみにカナリアはかっての炭鉱の底にあって身を持って危険を知らせたのだ。

 しかし行政は衛生が悪いだの、外観がとうなの、都市の美観を損ねるだの基本的には道路交通法で撤去していくのだ。
 結果、全てシスマティックに整備され、人々は己だけの関係性に閉じこもり、社会の共同性は薄れ、孤立化したカプセルはシュミレーション習俗のプレート上でのみ、より豊かな生活や高い学歴を求める脅迫的な「幸せ競争」追い立てられていくのである。

 俺は倉敷で長年お世話になっているので余り悪口を言いたくないが、過日、子供連れのお母さんに「清ちゃん、しっかり勉強をしなければ将来ああいう風になるのよ。」と云われた。母親にすれば子供にいい学校、いい会社、いい結婚、いい子供を生んで最後にいいお墓に入るプロセスを思い描いているのであろう。しかしこれを手に入れるには大変な抑圧で、これも又、お勉強の出来そうな高校生がこう友人に話しているのだ。

 「いま大雨が降ったら面白いぜ。」「どうして?」「こいつら、困るじゃろ」

 俺はこの言葉が耳に入ったとたん、管理機構が物凄い勢いで社会や学校、はては家庭まで侵入しているのではないかと思った。そして心に病気を持った人間がすさまじい勢いで増殖している事であり、その病気も徹底した自己中心の病巣である事だ。極論すれば我々の生活は何処へ行こうとしているのか?
 家庭も学校も営利企業体に乗っ取られ、喰い荒らされ、空洞化されて行くのであろうか・・・


 俺は浅草芸人のように蛇を鼻や口に出し入れしたり、、生きた鶏を喰ってしまうという芸当なと出来ないが、大道でニガオエを描く事に依って人々への反面教師でありたいと願っている。

            


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