美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/03/30(金) 40年前の美観地区日記より。 八十八回
46 似顔絵の歴史11浅草編

 銀座、新宿、上野、池袋とくれば浅草であろう。ここは江戸より最大の盛り場で、蛇を鼻から入れて口から出したり、生きた鶏を喰ってしまうというグロテスクな大道芸人発祥の地であった訳だ。彼等は喰わんが為もあったが、見ているお前だって、これ以上の地獄に落ちるかも知れないし、生まれ変わるかも・・・という仏教的反面教師でもあったのだ。この世を「厭離穢土欣求浄土」とみなして大道芸人はもっぱら「厭離穢土」を担当し、人々を「欣求浄土」へと、お寺や神社へと救いを求めさせる働きをしていたのである。いわば神社仏閣が光輝く浄土や仏の国への入り口であるとすれば、大道芸人は人間の精神世界の闇を幻視させる装置であり、 宗教と芸能が相呼応しあって、浅草のような劇的空間を形作るようになるのである。

 ここ出身の作家・池波正太郎氏は「鬼平犯科帳」で浪人の似顔絵師を紹介しているし、明治、大正、昭和初期にかけて砂似顔絵の全盛期であった。 

 俺の知る範囲では闇市時代からの似顔絵師コタロウ爺さんや山ちゃんぐらいしか知らない。とくに山ちゃんに記憶があるのは彼ほど数奇な運命に翻弄された人間を知らないからである。彼はアダ名のごとく山手の専売公社・支社長を父に持ち、何不由なく慶応大学・中等部に通学していたが、父親が今で言う汚職に巻き込まれ自殺。以後サラ金に手を出し、追われ新宿で野宿、そのままホームレスになってしまうのだ。そこで知り合ったのが、円谷という浮浪者風の肖像画家であり、彼の手伝いをしているうちに似顔絵を描くようになるのである。

 ただ彼の特徴は絵を描きながら、客の嫌味を言ったり、ときには叱りつけて得意がって居ることである。思うにこのスタイルは彼が好んで見にいっていた浅草のコメディアン深見千三郎の影響だろう。この千三郎は「バカヤロウ!この野郎!田舎モン!」というのが芸風で、彼の弟子にはこの倉敷出の長門勇、渥美清、それにビートたけしに到るのだ。

 なぜこんな事を覚えているかというと浅草名物・酉の市で似顔絵の合間にフランス座にいくとエレベータ・ボーイがビート・たけしなのと、その後、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺。
そのテレビを見た山ちゃんが「人間という奴はァ生きている時、死んでいて、死んだ奴こそ生きているような気持ちになる・・・」という言葉を含め印象が強かった日だったからである。


 俺もその様な印象に捕らえられてたのはの東北の遠野祭りに行った時であった。この町ではお盆、それに春と秋のお彼岸会には村人達それぞれの檀家寺に集まり、一日死者の肖像画と共に過ごすのだ。例えばこの寺では日露戦争の佐々木種吉より、日中・太平洋戦争で戦死した軍服姿の英霊。紋付姿のお爺さんやお婆さんから、若くして死んだ青年子女から童子までコンテ、水彩、油絵、絹本、写真等の肖像が数百点、ジッとこちらを見ているのである。その前で村人達は御詠歌をあげ、祖先を供養するのであるが、と同時にこれらの人々が残された我々を守ってくれるという願いが籠めるられているのだ。

 思うに我々は死者を思うことによって、一時的悲嘆よりも永劫の霊的紐帯を求めようとする。それは死者の霊魂と霊的に交渉することで想いを新たにする美しい行為てあり、その行為によって自己を精神的に救済したり、慰謝する事ができるのだ。とくに感動するのは、死者達があの世で何不由なく生活出来るように米や酒、魚、果物。あげくのを果ては金まで書き入れてあるのだ。
それは愛しいものがあの世で幸福に暮らしているのだ。と己ずから納得せしめる行為であろう。あるお婆さんは「この寺にくれば先祖代々が何時も変わらぬ姿で迎えてくれる。いずれオレも・・」
 と涙ぐみ、彼女も生きて居る事は死に向かっていることだと悟り、この影の部分で安心立命を得ているのだ。


 如何にその絵が村々にいた素人絵描きや喰いつめ者の放浪画家の手になる拙劣な絵であっても・ここに於いて大いに感動を覚える者である。何故なら芸術の本質を突き詰めていけば「異界」の問題へ即座に至るのは理の当然である。なんでも柳田國男の兄上は軍人として南方の民俗を調査しておられるが、その影響からかあの有名な「遠野物語」を完成させ、(平地人より文化人を驚嘆せしめよ!)というメッセージが意味ありげに響いてくる・・・


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