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2007/03/29(木)
40年前の美観地区日記より。 八十七回
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池袋には今は大道似顔絵師は誰も出ていない。 しかし、この地は戦前、日本のモンパルナスと言われた如く、多くの画家が住みついていたのである。御大・熊谷守一を始め曽宮一念、鶴田五郎、安井曽太郎、牧野寅雄、石井鶴三等など、当時の美術名鑑にはこの辺りに住んでいた画家三十四人の名を記しているほどなのである。
余談だが石井はここでシュール・レアリズムを基にした「美術文化協会」を設立するのだが、それに参加したのが、この倉敷の三橋健であった。しかし美校出の彼にとっては放蕩無頼、野武士的な彼等に疑問を感じ、それに戦時色が濃くなるにつれ返倉。大原美術館の館員になるのである。その三橋に絶縁状を送った石井も逮捕。結局、転向「エクゼターの反乱」みたいな戦意高揚画を描くのだ。
このエピソードが象徴しているように戦争で日本のモンパルナスも雲散霧消、故に駅周辺だけに限って云えば文化性も薄く、俺の知る限りでは大道似顔絵師が定着した事は知らない。
ただ 昭和40年代、全国で似顔絵師が雨後のタケノコの様に出てきた頃、この池袋に宮本三郎に師事していたカクさんと云う男が似顔絵を描き始める。そこへクリスチャンでアル中の滝氏。トラになって全国たいていのトラ箱を経験、トラ箱評論家の後藤君。定時制高校の美術教師の村田氏。それに例の放蕩無頼絵師の宮ちゃん等集まってきたが、超高層ビル・サンシャインが計画される頃よりホームレスと共に姿を消すのだ。新宿も同じである。都庁の件で都市空間が整備されるにしたがって彼等は排除されていくのである。
思うに現代日本は様々な面で画一化が進み、個性ある者、人と変わった生き方をする者を疎外したり、「一定の枠」に嵌め込もうとする傾向がある。結果、何やらウスペライ、変に眩しい窮屈な超管理社会が出来あがったものである。この事をハイデッガーは「輝ける闇」とも云った。それは輝けば輝くほど、闇の空間は狭くなり、人々の感情を苛立たせると云うことだ。
また俺は前に乞食や大道芸人のマイヨリティを受け入れない町は滅びる、という暴言を吐いたと思うが、昨今面白い事に横浜の野毛や静岡、名古屋の大須、富山で「大道芸フェステバル」というものが催されている事である。 しかし、これは市のチンドン屋みたいなもので、管理化された芸人は卑小化され、生気のない見世物で凍結し、芸人が本来持っている土俗的な匂いなど希薄である訳だ。 あえて言えば芸人を生むのは場末の持つロケーションと人の気質てあり、行政や都市計画で芸人の生まれた試しはない。それは自己の存在を賭けた、ギリギリの所での表現、その様なモノでないと真実の感動は生まれて来ないからである。
嗚呼!いかなる文明にも、腿廃期に入っていくと、どのような力を持ってしても支えきれない破綻に遭遇するものである。俺がアル中になるように・・・・
「しっ、静かに君のそばを葬式の行列が通り過ぎて行く・・・・」ロートレアモン
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