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2007/03/27(火)
40年前の美観地区日記より。 八十五回
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そうだ。確かトロン君も居ったような気もするが、彼はこの岡山出身で後「純粋単細胞的思考」という本をものにする。 読者はこのトロンと言う名で想起されるように、彼等は「宇宙食」と称してピリン系のハイグレランを焼酎とともに飲んでいるから、誰かが持ち込んできたラジカセにサンフランシスコ・サウンドでもセットされようなものなら熱狂的に踊り狂うのだ。
その頃の人間は今の人間のように自分達だけの関係性に閉じこもり、精神まで管理された人間と違ってまだ人間臭かった。故にギャラリーもヒッピーのパフォーマンスに対してでも興味を示し、踊りの輪中に入り、自分も会社をドロップアウトしょうかと本気に迷っている奴も出てくる時代だった。 思うにその頃が新宿の文化的な爛熟期だったのであろう。戦後の闇市時代からの庶民文化のパワーが、権力管理の圧力に潰され、根こそぎされていく最後の花を醇爛と咲かせていたのだ。
さて当時の新宿には、ゴールデン街に闇市時代からのベテラン似顔絵師数名いたが、我々のやるのは歌舞伎町通りの入り口、大和銀行前であった。
ところで何処でもそうだが、容易に商売はやらせて貰えない。何がしかの手続きがいるのである。俺の場合は清原天皇の紹介と関西へ来たおりには、我々の場所でやってもよい、という交換条件を出したからだ。とくに女似顔絵師を嫌うのは、女に客を持っていかれる危惧とその女の事でトラブルが発生する恐れで、ここは女人禁制の山なのである。
ではここでの存在感、つまり奴が居らないと新宿が夜も明けないという新宿クマ五郎から紹介しょう。 本名・松山といって学芸大卒。卒業と同時に似顔絵でアメリカ一周する。アダナのごとく顔は熊みたいで腕力も強く、度々派手なパフォーマンスをやり、我々を恐れさすが、ただ行動が落語に出てくる八つあん、熊さんタイプの所が救いであろう。 聖徳太子みたいなヒゲがご自慢のヒョウ介君はビールなら十本くらい軽く平らげる薩摩隼人で、女房・烈子君も似顔絵を描き(新宿ではない)二人で数千万円稼いだというが、後、二人は別れて烈子はカナダ人と結婚した。 この本の冒頭に出てくる「タイ焼きソング」のデザインで数千万円を手にする田島司君だ。彼もまた女房と決裂。他の女とロッキー山脈を縦走、スッカラカンになるのだ。 杜の都・仙台出の大友君は名のごとく身体は大きいが似顔絵は反対に小さく緻密に描いていた。平塚七夕で倒れる。 やはり仙台出のキムは母親が彼を産み落とした後、アメリカ軍人と結婚。その関係より渡米、侍姿で似顔絵描いたり、占いをしたりしていたが、最近は新興宗教の教祖に納まっているという。 似顔絵を描いていればよいものをアクセサリーの方が儲かると転身、結果、場所取りの事で喧嘩、人を傷つけ裁判沙汰になったバカ天。 その他「美少年」がアダナの大和田君。スケコマの斉藤、ガイコツの斉藤、イラストの斉藤での三斉藤。足は悪いが気の優しい小野寺君。朝鮮人でオチョコチョイの加瀬君、ゴッホ君等一杯いて、夫々面白いエピソードがあり、俺に取っても懐かしき人々であり、余白の関係上割愛するのが残念で偲びない。とにかくここは出入りの烈しい所であった。
最後は銀座だ。ここからは日展審査員・鬼頭鍋三郎や日本画の重鎮・加山又造。あるいは追い出されたものの世界的版画家になった池田満寿夫氏等輩出している。 故にここでやっている連中は「芸術の中心地である銀座でやっているんだぞ」という変なプライドがあって、他人を寄せ付けない雰囲気があり、どうも肩に力が入る所である。
福永氏をトップに群馬の小林氏、広島の宇佐美氏、この倉敷の竹槍氏、愛媛の国さん、静岡の安部氏、和歌山の栗山君、大坂の武さん、長崎の信ちゃん等々で固めていたが「銀ブラ」など死語と化した現在は誰も出ていない。まさに大道似顔絵師もヒッピーも悲劇の鳥、トキのごとく絶滅寸前にあるのだ。 あえて名前だけ羅列したのは、彼等の生き様に対する鎮魂歌である事を申し述べ、次号で総括したい。
七国語で喋るサカキ・ナナヲ氏。
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