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2007/03/26(月)
40年前の美観地区日記より。 八十四回
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上野公園での仕事がすむと、夜は新宿へ行くのである。その頃の新宿は世界的詩人アレン・ギンズバークやゲリー・シュナイダー等やヒッピーの集まる「風月堂」も健在で、ジャズ喫茶も「ピットイン」「ポニー」「木馬」等あまた散在し、また頭だけの赤い丹頂鶴党(頭だけが赤い)が経営する歌声喫茶「ともしび」からはロシアの民謡が流れていた。まさに世は大量生産、大量消費を美徳とする風潮の頃より、新宿は群集の渦で、あらゆる欲望を貪欲に呑み込んでしまう街でもあった訳だ。
ところがその頃より東口駅前の噴水広場にはロングヘア、ヒゲ、ビーズで飾り立てた異様な風袋の若者達が屯し始めるのである。ここは通称グリーンハウスと言って壁には「自然に帰れ!」とか「イエスは神の原子爆弾なり」というような意味のわからぬ言葉もあるが「ベトナムから手を引け」「車を殺せ、子供も殺すな」という良識的な事も殴り描きしてある。
この若者達は大量に物を消費する文化に背を向け、シンプルの中に心の豊かさを求め、別のもう一つの生き方を身を持って訴えていたのである。故に後、詩人になる山尾三省がアメリカのヒッピー新聞「オラクル」を真似た「部族新聞」を売っていたのもここであり、芸大出のクボゾノがジャクソン・ボロックばりの絵を売っていたのもここであった。
「私の志?集」の看板を首からぶら下げ、黒髪の長い美人が立っていたのもここであり、彼女はレイコと言って、詩人の日疋信に私淑しているが、その日疋は「詩は志でなければならない」という意味で「志集」とし、「街頭こそ唯一の死に場所」という信念で立っているのだそうだ。
その横では「命売ります」と乱暴に書いたスケッチブックの上、酒臭い息を吐きながら寝ているのは似顔絵界のダダイスト、キド・軍治だ。俺は彼からいろんな影響を受けているので、項を改めて描いてみるが彼の口癖は「親しくなるのはマッピラさ、親しくなるとお互い不自由になるからなぁ」であった。
そこへこの熟睡しているキド・軍治も飛び起きるほど、ギターを鳴らし、マントラを歌いながらやって来たのは、花やビーズで着飾った数十人のヒッピー達の御入来だ。
「我々は心の雑巾だ、汚い格好だが他を光輝かす」と襷をかけているのは、禅寺を墨染めの衣のままドロップアウトしてきたアキタであり、彼もまた似顔絵を描く人であった。この倉敷キリスト教会で再会する、お祭りポン太こと山田塊也や大坂・和泉橋本の七山に、俺や近畿大の連中と共に「七山小屋」を造ったチビグロ等の顔も見える。「ヒゲの殿下」とアダナされたナーガや、「新宿のランボー」と言われたナンダもいる。その彼と子持ちカップルになるミコやノン、ア等と猫みたいな名の女も混じっている。
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