美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/03/21(水) 40年前の美観地区日記より。 七十九回
 大原美術館の存在は昭和七年、満州事変に際して国際連盟から派遣されたリットン調査団が日本の片田舎にこれほどの西洋絵画が集められている事に驚嘆したと言われている。この事情が第二次世界大戦末期、日本国内各地が爆撃浴びせられる中、倉敷が無事であったのは己自からの文化を灰塵に帰するに偲びなかった。つまり、一個の美術館が町を救ったのであると云っても過言ではない。

 尚、日本通で岡倉天心を知るラングドン・ウォーナーの功績も多大で、彼は「日本にある人類の宝を守れ」と云ってアメリカ人類学者オーティス・ケーリーを通して、米陸軍長官ヘンリー・スチムソンに依頼したことである。

 また大原美術館前に立つ二体のロダンの彫刻像「カレーの市民」「洗礼者ヨハネ」を時の軍部が接収命令を出して来た時、ときの館長・竹内潔真が「このロダンの彫刻はかけがえのない重要美術品。軍需工場で働いておられる多くの労働者に感動を与えています。」と直訴。それを「供出の必要なし」と受け入れた審議会委員の人々に柏手を送りたい。

 実際、戦争中の入館者は多く、殺伐とした時代故に芸術に触れ、人間としての魂を一瞬でも取り戻したかったのであろう。
 のち孫三郎の後を継ぐ総一郎氏は当時を回想して、次の様に書いている。

 「その頃、毎日のように武官に連れられて特攻隊出陣の若い学徒兵の人達がやって来た。当時敵国の美術品に囲まれた中で、故国に決別する最後の一時を過ごして任地に向かう、これらの人達の印象は今も消し難く思い出される」

 総一郎氏にすれば孫三郎より受け継いだ倉敷紡績も軍に接収され、木製飛行機を造らされていたが、多くは特攻用で日本楽器製造の「剣」が有名だが、ここのは「白菊」という可憐な名で、結局、十七機が造られ、総一郎氏としては感慨ひとしおであっただろうと想起するのである・・・・

 またその年の十二月より大原美術館開館、入場料は一般五十銭、学生三十銭、進駐兵は無料だったが、氏は兵士が喰いいる様に鑑賞する姿を見て、芸術に国境がないことを確信するのである。
 以後、ビニロンを開発する一方、今までは印象派のアカデミックな絵が多かったが、ゴッホやセザンヌの様なエコール・ド・パリ以降の作品も購入する。と共に昭和二十六年にはマチス展、翌年にはピカソ展を開催。戦後の大原美術館のルネサンスとも言うべき改革が見事に華ひらくのだ。

 「倉敷を日本のローテンブルグに」というのが総一郎氏の希望だったそうだが、今、現実に具体化しつつある・・・・・


 ところで人が環境によって助長する者と仮定すれば、この一介の地方都市から多くの画家が輩出している事である。大原氏の奨学生であった満谷国四郎と児島虎次郎。岡山洋画壇の父といわれた吉田茜。裸婦の寺松と言われた寺松国太郎。太平洋洋画会の中心だった鹿子木猛郎。アメリカ画壇で成功した国吉康雄。フォーブの鬼と言われた中山巌、フォーブより大原美術館員になった三橋健。我国抽象絵画の先駆者・坂田一男。盲目の旅芸人・ゴゼを得意とする斉藤真一。
 日本画では小林竹喬に池田遙邨等の巨匠をあげていけば切りがない。

 では何故こういうことを書いて来たかとというと俺が東京へ似顔絵を描きに云った時、前回で紹介した野崎氏や小野君。竹槍氏という具合にこの倉敷出身の似顔絵師が実に多かった事に疑問を感じていたからだ。しかし、こう書いてきてみると何の不思議も無い訳である・・・・


 竹槍氏は下津井出身でシャープな顔立ちにロマンスグレーの良く似合う人だが根はボッケー頑固者である。
 「わしゃ、倉敷に居る時はゴクドウ者でな」おっしゃる氏のゴケドウはとは黒住教の布教者として、その頃台頭してきた新興宗教を論破して歩く事を指すらしい。その間、大原美術館に魅せられ、この道に入って来たらしい。小野君は叔父さんが英国でアッシャー賞に入賞した抽象画家・藤岡章氏の影響もあるが、やはり大原に魅せられてこの道に入ったと叙階する。

 神さま、仏さま、オオハラさま。皆、オオハラの恩恵を受けているのである。



絵は大原総一郎氏。


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