美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/03/17(土) 40年前の美観地区日記より。 七十五回
 さて俄然似顔絵師の話が明瞭になってくるのは、戦後の事からであるというのは、その時より似顔絵を描き、なお現在似顔絵を描いている先輩がいるからである。

 その先輩の話しによると新宿、銀座、上野等の焼け跡にはすぐ露店が建ち始め、とくに銀座の服部時計店と松屋前には進駐軍用の酒保、つまりPX前にはカーキ色の軍服を着た進駐軍兵士が大勢やってきたので、それを目当ての花売りや靴磨き、あるいはパンパンガール、箱形カメラを首から下げた俄か街頭写真屋等が出現した。

 そんな中にスケッチブックを持った大道似顔絵師も居たわけだが、その数は四十人とも六十人とも言われている。
 石田、橋本、野崎、ガマ田、大崎、松本、小林、岡田、福永、佐伯などなどだが決して本名で呼ばれる事なく、ガマやショウ、アラカンやガイコツ、あるいはイラスト等とニックネームで呼ばれていたのはお互いの過去を詮索することなく、一種の親しみとチームワークの堅さを現わしているものとみえる。

 例えば絵に自信のあるものは丸の内の学士会館や王子の燃料倉庫跡に兵士が寝泊りしていたので、油絵の肖像画を描きにいったそうである。F6号で毎日二時間、一週間完成で二千五百円。当時、似顔絵一枚は三十円程だったので良い値段と良い食事だったと言う。

 また面白い事に横須賀港に軍艦が入るとポン引きが連絡してくれ、大拳して似顔絵を描きに行くのだ。そして滅多に手に入らないフイリップモリスのタバコや缶詰を手にすると、当時、殺人酒と言われたメチール酒で泥酔。数人の似顔絵師も死んでいったが決して「進駐軍万歳」「反軍国主義」「平和と民主主義」唱える事もなく、況や「芸術論」等一口も口に出さなかったと言う。

 ついこの間まで「我々こそは東亜の指導者である」という妄想を完膚なきまで叩き込まれ、一転、マッカーサーの説くデモクラシー、丹頂党(頭だけ赤い)の示唆するイデオロギーもそこに獣的な人間の利己心が働いている事を膚で痛いほど知悉していたのであろう。

 故にだ。彼等は自分自身を戯画的かつ露悪的にする方が行き易い事を知っていた。
 例えばショージという似顔絵描きは客が如何に進駐軍兵士であろうとも、絵を描きだすと般若心教を唱えたり、アラカンというエカキは「ノー・マネー」と言っておきながら「眼はファイブ・セントだが描くか?」「鼻はシックス・セントだがどうする?」と言って結局三十円近くを手にするのだ。後、自害する石田氏はパンパンガールと歩いている兵士の帽子を、跡からひったくり赤ンベエして逃げ去るのを得意としていた。又、ある聾唖者のエカキは絵を描き終わって「ハウ・マッチ」と聞かれ、指を三本出すと何と三ドルもくれたという訳で又、皆でメチール酒で乾杯だ。

 今度は銀座のハナとかマドンナと言われたパンパンガールも一緒で、結局、彼女からも肉体の接待を受けるのである。

 勿論一般人の中にも銀座のど真ん中で日の丸のタスキを掛けて何だか訳のわからぬ演説をしている人だとか、マンドリンで弾き語りしている「天空」とかいう詩人とか、信号等無視して「止まれ!」「まだ行っちゃいけない!」等叫んでいる人とか、あらゆる軌範から解放され、個人の自由意志を現わす人が出て来たのも一種の救いであろう。


 先輩似顔絵描きはいうのだ。
「当時はある種の共同体の意識、お互い同士という気分があった。振り返ってみると、あの頃の真にみすぼらしい日本人の方が、今の身ぎれいなお洒落な日本人より、むしろ立派だったのではないかと思える。人々は呆然自失のショックを振り払って立ち上がり、軍国主義的な侵略など無益だと悟るや、別の道を求めて廃墟の中を歩む姿は美しかった」と。

 ところで今や世界的な版画家として有名な池田満寿夫氏も、自由美術の佐伯という似顔絵師の紹介で立っていたのである。
 「この似顔絵というヤツは特別な技術を必要とするらしく、私には初めから彼等に対抗出切るだけの要領のよさを持っていなかった。従って何時も兵隊を横取りされ、あげくのはて、この新参者は銀座の似顔絵のレベルを落とすとして彼等の協議の結果、銀座に立つ事を禁じられたのであった」と氏の著書で嘆いておられるのだ。氏は兵士が通りかかると「ボクは絵ヲ勉強中デ学資ガ必要ナンデス。ドウカアナタノ似顔絵ヲ一枚描カセテクダサイ」とたどたどしい英語で説明しょうとしているが「ヘイ、ユー、ノオライク、ノォペイ!」で良いのだ。

 それに横浜からくる第五空軍や第八連隊の米兵はよく描かせてくれるが、腕黄色地の馬のマークを付けた米兵はマッカーサー直属のいわゆる近衛兵で池田氏は見分けがつかなかったのであろう。

 池田氏はそれで良かったと思う。


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