美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/02/08(木) 40年前の美観地区日記より。 四十二回
M 美観地区に集う人々

 春風駘蕩まことに気持ちの良い日で、この美観地区にも旗を先頭にいにしえのお譲さんを含め観光客がどんどんやって来る。記念写真を撮り、有名な絵を見、ドォーツと流れて行く。つかの間の幸福の繁栄をドサッと持ってきて絵にして見せた点景である。

 いつものごとく今橋上でバスガイドの説明が始まった・・・・
 「この建物は大原家の別邸で、緑色に輝く屋根より緑御殿と呼ばれています。大正十五年に昭和天皇の行啓があり、この橋も改築、児島高徳?に龍と菊の御紋章を大原孫三郎氏が彫らせたという事です。なお緑御殿は昭和天皇や前ニクソン大統領が御宿泊。なんでもあの瓦は一枚八千円「現在三万円」・・・・

 ここまでくると観光客はどよめきバスガイドが得意気になるところであって、別に高徳ではなく虎次郎がデザインし、甥の彫刻家・紀和氏が彫ったとしても関係ないのである。観光客にすれば平常のあらゆる哀しみや心配を忘れ、太平の逸楽の気持ちになれば良いのである。況や俺にとっては良き金ズルで、優曇華の花なのだ。

 では何時頃から倉敷に観光客が大勢参集して来たのかと言えば昭和四十七年・新幹線が岡山まで開業した事もあるが、都会にコンクリートの画一化が進むにつれ、古い民家、白壁、古城などの良さを見直した事。と同時に大原美術館の名画盗難事件だ。コローの「ナポリ風景」ルオーの「道化師」モローの「雅歌」他三点だが、皮肉なことにこれを機に多くの名画が倉敷にあることが全国に知れ渡り、それらが重なりあってブームの到来を招いたのであろう。

 ところで人が集まればそこに何等かの利益を得んとする輩が集まってくるは理の当然で、この乞食エカキを始め、アクセサリー、冷やしアメ、観光写真、人力車、後にはアイスクリーム、占い師、女引っ掛けカメラマン、ギター歌い、宗教カンパ等あらゆる有象無象が湧いてくるのだ。ちなみにその当時の新聞には「美観地区の駐車場どこも満杯、狂う計画」「美観地区に新名物の人力車」の見出しが散見できるが「人気者のニガオエ描きさん」とチャンと俺の事も出ている・・・・


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