美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007年2月
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2007/02/07(水) 40年前の美観地区日記より。 四十一回
 思うに生きる定義とは喰うことであり、味わうことであろう。

 碩学サミュエル・ジョンソン先生は「腹のことを考えない奴は頭のことも考えない」と喝破し、フランス人は「その人の食物で人物を判断せよ」と人物教養の基準の一つにしている。
 「君子、厨房を遠ざく」とはとんでもない話で昔から料理は男の仕事だったのだ。
 たとえばホメーロスの叙事詩の英雄達は肉も切れば、パンも焼いた。
 ユリシリーズのオデュセウスはローストビーフの名人だった。「三国誌」の軍師・諸葛孔明は漬物や畑の種まきまで指図しながら、五大原の作戦の采配を振るっていたし、レオナルド・ダビンチでさえポッチェッリと一緒に居酒屋を経営しょうとしている。ロートレックに到っては食通を凌駕し、常にポケットにオロシ金とナツメグの実を入れて持ち歩き、ついには「美食三味」という本を上辞している。

 こんな事を羅列すると千夜あってもきりがないので割愛するが、ゴッホの描いた「馬鈴薯を食べる人々」やミレー描く「種蒔く人」に一歩でも退歩?するためにも、ここにしばらく鍬をもって土に語りかけてみよう。何、土か答えてくれるさ。いまの人間から答えは出ないと痛いほど知っている急拵えのチモ兵衛田吾作はまた勝手に決めてしまうのだ。

 テレパシーで俺の引越しを知ったというチビクロが来た。清原天皇もやって来た。ヤンに淑恵ちゃんもやって来た。カラスもやって来た。カラスの見守るなか、早々皆で開墾作業のランデブだ。心地よい疲れ合間に皆のなけなしの金を集めてのコップ酒。この喜びは富者の万燈よりも、貧者の一燈の大いなる喜びでもあった。

 富よ去れ!文明よ去れ!華麗なる肥え溜めよ!

 次回 倉敷美観地区に集う人々


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