美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2007年2月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28      
最新の絵日記ダイジェスト
2010/05/12 大阪で昆布屋
2010/04/15 000000000
2010/03/08 次回は油絵を・・・・・
2010/03/04 浅田真央ちゃん
2010/03/02 遅くな諒としてください

直接移動: 20105 4 3 2 1 月  200912 11 8 1 月  200810 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 月 

2007/02/05(月) 40年前の美観地区日記より。 三十九回
L 異色俳優・大泉晃氏からの教示

 仏教に因縁や宿縁という言葉がある。すれば「酒縁」という言葉があっても可笑しくないだろう。というのは俺がいままで住んだ大阪や東京のアパートの管理人は全て酒屋であり、津山での隠居所は酒の醸造元であり、倉敷でお世話になろうとするのは酒屋を営む老刀自の持ち家であるからだ。
 いまは引越しを霊柩車でする身だが、酒は栄えであり、濁り酒もいずれ清酒になるのではないか、と思いつつ早速、番頭に案内された所は美観地区より十分程の近さであり、何より俺を嬉しがらせたのは空地が広い事であった。

 それは何時頃か失念したが異色俳優・大泉晃氏を作家・玉川しんめい氏が紹介してくれた時のことを思いだしたからである。

 「ホオー、祭りから祭りにニガオエを描いてネ、この暑いのに・・・・真夏はボク、野菜畑にある穴の中でジッとしているの。仏教でいう雨安居ね。ゆえに近所の人はボクのことを野菜人とよぶノ。土があれば野菜ができる。野菜ができれば生きられる。それがボクの人生哲学の根本デス」とおっしゃった事だ。

 愚察するに彼の父君・大泉黒石はロシア人との混血児で、少年時代には文豪レオ・トルストイに抱っこされたりしてロシア、フランス、中国を放浪、自称「国際的居候」と居直るのだ。

 その頃の日本は戦争というウルトラ・ナショナリズム真只中であり、それに杭してニヒリズム、アナキイズム、ダダイズム等イズムの百花争鳴で黒石も大杉栄や辻潤らとともに雁行して行くのである。

 この岡山においても常に赤いボヘミアン・ネクタイをヒラツかせ、繁華街を人もなげに闊歩し、また後に日本美容界の草分け的存在になる美少女アグリと結婚。田舎町岡山をアングリとさせるのだが、その男が吉行エイスケであり、ダダイズムの第一期生であったから黒石とも親交があったものと推測される。ちなみにその息子が吉行淳之介だが閉話休題だ。
 そんな時代閉塞の中で黒石は「デラシネの痛み」を根幹として戯作風刺文学「俺の自叙伝」に昇華し、ときの大編集長・滝田愕陰が主宰する「中央公論」を舞台に彗星のように躍りでるのだ。

 「人生見物」「人間廃業」「老子」等次々発表し、いずれも爆発的人気で版を重ねるが、文壇とか画壇の陰湿さは昔も今も変わりがない。
 黒石自身、文壇などはバクダン、ブツダンで示すように禄な奴はおらないと指摘するものだから、村松梢風や久米正夫みたいなケチな頭蓋骨共が黒石を一種の人格破産者として文壇より追放してしまうのである・・・・・・・


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.