美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007年2月
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2007/02/28(水) 40年前の美観地区日記より。 五十九回
 山田ナオミさんの場合は、岡山・西大寺の出身で、東京において結婚に失敗。娘の万葉を抱かえて途方にくれていた所、ポンが現れ「俺と結婚して奄美でコミューンを作ろう」と誘われる。彼女はその頃、丁度、アイヌの生き方や、エコロジカル方面、それと南の島への憧れという気持ち多大でポンとの波長があったのだ。

 坂本式子さんの場合は東京・道玄坂の生まれで、大きくなるにつれ電力会社の重役を勤める父親に批判的になるのは、それは父親が貴重な電力を供給して社会に貢献しているというより、核燃料をたれ流してはばからない悪徳企業に勤めていると思えてきたからだ。そこで和光大学を退学、奄美の住民運動を通して無我利道場の事を知り訪ねるのだが、そこでは人や物を壊していかない有機農業栽培をやっている共同体の魅力に取り付かれるだ。
 彼女は語る
 「大きな会社は天下り官僚などがいて、査定もいい加減で厳しいのは中小企業で、これから大企業の問題が噴出するんじゃないかしら・・・」と。

 この式子さんとカップルの北村真之さんは大坂生まれで、若い頃東京でロックコンサート等やっていたが、どうも大地に足が付いていない様な違和感を感じ旅に出る。彼が無我利にやって来たのは道場が誕生して二年目の七十六年。その当時、枝手久闘争のまっただ中で、漁場権を盾に開発計画を阻止するという戦略に無我利の男達も加わっており、北村さんも加わったのだ。しかし、彼は言う「闘争とか政治的な意味より、奄美の自然に魅せられたのよ。最初の頃は漁の間でも海に見とれていたし、アブリ漁自体も面白かったよ」

 彼にとって無我利とは自然の中で生きる糧を得る厳しさ、緊張感、喜び、そして漁師としての 職業意識への目覚め、そんなかけがえのないものと出会う場であったのである。


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