美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007年2月
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2007/02/26(月) 40年前の美観地区日記より。 五十七回
 そこで彼は友禅染めを即刻止め、昼は天王寺美術館に通って石膏デッサンをやり、夜は京都で似顔絵を描き始めるのである。

 もう一つの衝撃は似顔絵にも馴れ、日本一周旅行も終え、新宿歌舞伎町に立った時である。

 彼自身フリークスを認識し、アウトロウと自覚していたから酔っ払いやチンピラヤクザ等の人間にはビクともしなかったが、ただ一群の若者達だけが彼を苛立たというのだ。それは髪を伸ばし、ヒゲを生やし、ズタ袋を肩にした彼等は高度経済成長と繁栄を否定し、その拝金主義と物質文明に反抗し、自然との共存共生と、意識の進化を目指して生きていこうとする流れであり、混沌の一九六0年代に端を発する、我国のニューエイジの覚醒と行動の発端であったのだ。

 「ヒゲの殿下」とアダナされていたナンダ。「新宿のランボー」と言われたナーガ。東京芸大出のクボゾノ等に洗礼を受け、東京・国分寺に「エメラルド色のそよ風族」長野・富士見に「雷赤烏族」鹿児島・諏訪瀬島に「がじゅまるの夢族」のコミューンを建設していくのだ。


 止まれ! この事はまた重複するきらいがあるので、革命論を多く著作されている大田竜氏の言葉を借りる。

 「(奄美革命論)の中に詳しく書かれている様に、山田魁也氏は一九六0年代半ば頃から、日本における反文明的ヒッピーコミューン運動、部族運動、対抗文化運動の前衛の位置に居り、次にトカラ列島の諏訪瀬島にヒッピー道場を作り、またインドを放浪してインドに惚れ込み、さらにこの島の観光化を企図したヤマハ資本運動ボイコット運動をえて、一九七五年に奄美の宇検村久志部落に無我利道場を作り、反対派宇検村民と共に東燃 技手久島石油基地化反対運動を推進してきた。
 彼自身の言葉を借りれば、彼の軌跡はアメリカ起源の白人対抗文化、脱文明のヒッピーとして出発し、インド思想を経由して「奄美ナロードニキ」に脱皮したという訳だ。

 ところが度かさなる右翼「松魂塾」の襲撃等によって解体、彼は故郷の飛騨高山にボロを飾るのだが、屈することなく縄文人の発想からの「ヒダマ道場」のコミューンを作るのである。

 思うに本来の共同体である村落共同体とか家族共同体というのは現在崩壊した。だけど人間は本来共同体的な存在であるという意味で共同体を作ろうと云う動きその物は、非常に人間的で本能的だと思う。しかし、今はその事も考えるのは止そう。


 踊るアホに見るアホゥ。同じアホなら踊らにゃソンソン・・・だからだ。


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