美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/02/20(火) 40年前の美観地区日記より。 五十一回
P 妻6人、子供18人の一夫多妻論者より

 「渡り鳥が渡ることをやめて一所に定住し、その地で死ぬようになってしまった」と云う新聞記事を読んで愕然ときた。
 それは人間がエサを与えるのか、空気中の大気が暖房で暖かくなったのか、北に帰らず巣を作って産卵し、繁殖するようになったと云う。

 ちょうど今の俺も美観地区に定住し、観光客のおこぼれでなんとか生きているように、渡らない渡り鳥のように堕落したと思った。
 定住の幸福とは生き物の患う最後の病気なのだ。
 保護された生物は川の流れと同じく低い方に流れ、安楽椅子に寄り掛かりたくなるものである。
 美観地区に行く途中、常々思うのはその事で「旅にでも出るか?」ハンドルが自然倉敷駅の方に向かうのは仕方なかろう。

 しかし、汽車に乗るわけにはいかぬ。ここに腰を落ち着けたのは己の意思にもよるが、色んな人々の好意があったのだ。
 もし簡単に乗ってしまえば自他ともに裏切るだけでなく、平宗盛は讃岐の浜で笑うだろうし、二位尼御前は壇の浦で苦笑するだろう。

 俺はひたすらペダルを踏んで警察前をコソ泥のように横切り、中央病院前をアル中のごとく走り抜けると鶴形山のトンネルに突き当たる。
 このトンネルでは王将・大山益晴が将棋を指し、戦争中は特攻機「白菊」を作っていたそうで、それを想起するだけで日常より非日常になり変わり、川端康成はトンネルを抜けると雪国だったが、俺にとっては稼ぎの場なのである。
 そして何よりの救いは日本全国ばかりでなく、世界の人々に出会えることである。
 たとえば財田川事件の元死刑囚・谷口正義氏が仏像の絵を持ってきたのにはビックリした。
一枚の絵を鉛筆で一年かかって描いており、デッサンは狂っているが冤罪のルサンチマンが籠められているようなのだ。

 そんな一人が一夫多妻主義の高瀬実氏であったわけである・・・・・



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