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2007/02/18(日)
40年前の美観地区日記より。 四十九回
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たしかに最近の俺は女に縁がない。旅していたときは女に秋波送られ、誘惑された事も多々ある。 彼女らは性欲強く持て余していたのかも知れず、欲情の激しい女は男なしでは居られないのだろう。 そこで自分を満足させてくれる情事の対象を探すが、イザとなれば女には以外に難しい面がある。会社や知り合いでは一寸具合が悪い。 街で拾ったイナせな男は最初はおとなしく紳士的でも、一皮むくとヤクザになる事もある。面白くって後くされのないのは放浪エカキと言うことになるのであろう、と思った。 しかし、この岡山に腰を落ち着けたトタン、女の肌からほど遠くなるのだが、何でも俳優の殿山泰司の「日本女地図」では岡山女の貞操観念の堅いこと石のごとしと書かれている。その理由としてここは人口密度に較べて女学校が多く、そこへキリスト教などでキャンキャンで手のほどこし様がないのだそうである。 胴長で色黒、陰毛は短く縮れており、体位は松葉くずししか喜ばぬ・・・・もう、ここまでくれば誹謗以外何物でもない。 川西町の飲み屋の女傑などは「何、言ってるジャー、女は昔、太陽だったァ。その殿山と言う男が来たらホーデンを噛みきってやる・・・!」変な平塚雷鳥ばりのタンカを吐くのだ。
俺に言わせると何処の女でも同じなのだ。 女心を捕まえるには時間と関心を惜しみなく相手にそそぎ、なり振りかまわず、常識に縛られず、恥をわすれ、ひたすら一体性を求めれば良いのである。 若さも地位も、金も必要ではない。 この現代の孤独な社会では触れ合いに飢えている女が満ち溢れている。エネルギーさえ惜しまず、他のことに眼をつむる勇気さえあれば岡山女を手にすることができるのだ。
雨は降るにふる・・・そこで俺はタクシーを呼び「アトリエで続きを描こう」と熊ちゃんもナース嬢も荷物もほおりこんだ。
「今日は俺がおゴルバチョフ、君達とノミノケーション、君は何とノーメル賞」と言いながら・・・
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