美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/02/10(土) 40年前の美観地区日記より。 四十四回
 また乞食にしろ実にユニークなのが居たと言うのだ。

 たとえば「コロンの中村さん」でコロンとは木切れの事、それを拾い集めて売り歩いたのだが、その風体は頭の頂きだけ髪を残し、チックを塗り付けたところは河童そっくりで、その河童、ときにはボロのフロックコートに山高帽姿で人生論や政治論をブッたと言う。
 「作蔵」もまたモジャモジャ髪で腰に大瓢箪、扇子を片手という異様な風袋だが、違うところは一連の数珠を光らせ、それに物を貰うと太陽に向かって「ユウーツ」叫ぶことだ。それは太陽の光で生かされている事への感謝感激の一つの儀式であり、貰った物も仲間に呉れてやる事において、人と共に生きる喜びを悟っていたようで、人々より「乞食の哲人」と冠せられるのである。
 「京橋の吉」と言うのは若いときから悪党で鳴らしていたが、悟るところあって悪とはサッパリ手を切って乞食に更正?する。 彼には子供がいて和尚が寺に子供を引き取り薫育にあたろうとするが、吉は「あんたの手元では、子供が人間になりません」と引き戻してしまうのだ。なんと留飲が下がる話ではないか。他にも「シンさん」や ミノ金」等バスク老は話続けるが、俺の息子がはち切れそうで即心成仏させてやらねばならぬ。あわてて便所に駆け込んだ・・・・

 その間にも観光客は相も変わらず賑やかな笑い声をあげ、来ては去っていく。バスク老の話す昭和初期から比べると確かに生活の匂いは失われ、観光だけの場所に変わってしまったかも知れない。
 しかし、冷やしアメや焼きイモ屋は健在であり、「作蔵」みたいな豪快な乞食には出喰わさないが、何時もニコニコ笑っている「マドンナ婆さん」や塵箱のコーヒ缶に吸殻が入っているのも知らずに飲んで、苦い顔している「ノメリ爺さん」等はいる。

 如何に時代が変わろうと国家の論理からはみ出し、沈黙の中にジッと一点を見つめ涙している瞳には幾らでも出会えるのである。ただ、こう言う人々を見て笑うのは勝手であろう。しかし、勝手で済まされぬのは、人間集団から離脱して世間の無常の向こうに自己を放つことが生の本源に帰する生き方とするならば、権力や金の力が人間の値打ちを決める根拠となっている社会も又、反人間的な生き方と言えるのではないか。
 いわんや人と人との間に通い合うようなモノを少しずつ侵蝕し、奪い去ろうとしている時代においてをだ。


 漫遊観光は退屈のために、流浪の生活は不条理のために・・・・



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