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2007/12/03(月)
倉敷にがおえエレジー 題92回
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似顔絵の歴史・新宿、銀座編
上野公園での仕事がすむと、夜は新宿へ行くのである。その頃の新宿は世界的詩人アレン・ギンズバークやゲリー・シュナイダー等やヒッピーの集まる「風月堂」も健在で、ジャズ喫茶も「ピットイン」「ポニー」「木馬」等あまた散在し、また頭だけの赤い丹頂鶴党(頭だけが赤い)が経営する歌声喫茶「ともしび」からはロシアの民謡が流れていた。まさに世は大量生産、大量消費を美徳とする風潮の頃より、新宿は群集の渦で、あらゆる欲望を貪欲に呑み込んでしまう街でもあった訳だ。
ところがその頃より東口駅前の噴水広場にはロングヘア、ヒゲ、ビーズで飾り立てた異様な風袋の若者達が屯し始めるのである。 ここは通称グリーンハウスと言って壁には「自然に帰れ!」とか「イエスは神の原子爆弾なり」というような意味のわからぬ言葉もあるが「ベトナムから手を引け」「車を殺せ、子供も殺すな」という良識的な事も殴り描きしてある。
この若者達は大量に物を消費する文化に背を向け、シンプルの中に心の豊かさを求め、別のもう一つの生き方を身を持って訴えていたのである。故に後、詩人になる山尾三省がアメリカのヒッピー新聞「オラクル」を真似た「部族新聞」を売っていたのもここであり、芸大出のクボゾノがジャクソン・ボロックばりの絵を売っていたのもここであった。
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