美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007年12月
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2007/12/01(土) 倉敷にがおえエレジー 題90回
ここでの乞食原理はマルクスのいう共同体のたんなる「飢餓対策」等ではなかった。親子、兄弟、主従、眷属がホイト(乞食)と共に一つ鍋の物を喰って家々の幸福を祈ったのであり、ホイトの側からすれば「モライの生活」を続ける事が、すなわち「信心の業」であったのだ。
 あえて言えば、古くは空也や一遍、下っては西行や木喰もそうであり、僧の境涯に拘わらないならば良寛や芭蕉を加えても良く、彼等は世俗を捨て「野」に向かう意志がはっきり見えるのだ。

 近代では作家・幸田露伴の無銭旅、俳人・種田山頭火の雲水としての托鉢行脚、ダダイスト・辻潤の尺八門付け等も脱社会への偏向臭がする。

 戦後には作家・稲垣足穂は東京中野駅前にて、今東光は奈良東大寺前にて座り乞食を、黒岩重吾は大坂釜ケ崎で占いを、田中小昌実は露店商として全国を放浪している。

 このごとく昔から僧と芸術家には乞食、浮浪旅と因縁が深いのであるが、勿論名も知れないドロップアウトした、させられた乞食、浮浪者の方が大多数占めていたのは衆知の事実であるが、一般庶民もそれを認めていたから、当時の彼等には現代ほど乞食という生活形態には陰湿で暗い影はさしていない。

 例えば大坂・天王寺動物園前で似顔絵を描いていたおじさんは帽子に「お子さまランチ」に付いている万国旗を一杯なびかせ、「にがおえ」と書いた厚紙を肩からぶら下げ寝転んでいたり、ときには器用に石を積み重ねて、飯盒に入れた米を炊き、実に旨そうに喰うのだ。客があるとワイシャツ等が入っていた箱の白い所を色紙大に切り取り、赤と青が両サイトに付いている色鉛筆で描くのだが、ハーフトーンを出すために指に唾を付けてゴシゴシこするのだ。客は厭そうな顔をしてもおかまいなしで「ハイ、出来ました。貴女は可愛いのでカルダンの袋、奮発しちゃう」と言って、これも拾ってきた紙袋に入れて手渡すのだが確か値段は百円だったと思う。

その横ではヤットコと金切鋏でくるくる針金を折ったり、曲げたりして、レーシング・カーや小鳥を作るおじさんだ。それを買ったお客が何か言ったと見え、「これだけあれば何処でも行けるからねぇ」とヤットコと金切鋏を顎でしゃくって、
「針金はね、小学校の側の文道具屋さんに行くと必ずあるから、現地調達。焼酎代と宿賃を稼いだら後、何もいらないから、それだけやったら止め」その日もそれだけ稼いだとみえ、腰をあげると道具をしまい、その袋を肩に掛けると次の様なことをつぶやいて去って行った。

 「お客さん、人間なら何も身につけない様に、偉くならない様に努力すべきだねぇ。そうする事が本来の人間の務めであるはず。勝ち負けなんて単なる自己満足だよ」と。


 俺はその時、思った。人間の素朴な暮らしとは喰う、寝る、出す、祈る、愛するといった物だけが生存を続けるための緒行為とするならば、彼等は負け犬とレッテルが張られているが、彼等こそもっとも選ばれたる人間らしい人間と言えるのではないか。ところが我々がエゴを価値の源泉とした時から、あるいは我が者であると物に執着した刹那に縄バリが出来、国家がのしかかってきて我々は憂い、煩悶するのではないだろうか。

 更にいえば社会は個にとって虚偽の世界である。その虚偽の公に踊らされ、果てしない欲望の肥大化となって結局空洞化されていくのだ。俺はこの路線に乗るのは危険と感じた時、大道似顔絵師の道に入っていたのである・・・


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