美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2007年12月
前の月 次の月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新の絵日記ダイジェスト
2010/05/12 大阪で昆布屋
2010/04/15 000000000
2010/03/08 次回は油絵を・・・・・
2010/03/04 浅田真央ちゃん
2010/03/02 遅くな諒としてください

直接移動: 20105 4 3 2 1 月  200912 11 8 1 月  200810 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 月 

2007/12/05(水) 倉敷にがおえエレジー 題94回
そうだ。確かトロン君も居ったような気もするが、彼はこの岡山出身で後「純粋単細胞的思考」という本をものにする。
読者はこのトロンと言う名で想起されるように、彼等は「宇宙食」と称してピリン系のハイグレランを焼酎とともに飲んでいるから、誰かが持ち込んできたラジカセにサンフランシスコ・サウンドでもセットされようなものなら熱狂的に踊り狂うのだ。

 その頃の人間は今の人間のように自分達だけの関係性に閉じこもり、精神まで管理された人間と違ってまだ人間臭かった。故にギャラリーもヒッピーのパフォーマンスに対してでも興味を示し、踊りの輪中に入って、自分も会社をドロップアウトしょうかと本気に迷っている奴も出てくる時代だった。

 思うにその頃が新宿の文化的な爛熟期だったのであろう。戦後の闇市時代からの庶民文化のパワーが、権力管理の圧力に潰され、根こそぎされていく最後の花を醇爛と咲かせていたのだ。


 さて当時の新宿には、ゴールデン街に闇市時代からのベテラン似顔絵師数名いたが、我々のやるのは歌舞伎町通りの入り口、大和銀行前であった。

 ところで何処でもそうだが、容易に商売はやらせて貰えない。何がしかの手続きがいるのである。俺の場合は清原天皇の紹介と関西へ来たおりには、我々の場所でやってもよい、という交換条件を出したからだ。とくに女似顔絵師を嫌うのは、女に客を持っていかれる危惧とその女の事でトラブルが発生する恐れで、ここは女人禁制の山なのである。

2007/12/04(火) 倉敷にがおえエレジー 題93回
「私の志?集」の看板を首からぶら下げ、黒髪の長い美人が立っていたのもここであり、彼女はレイコと言って、詩人の日疋信に私淑しているが、その日疋は「詩は志でなければならない」という意味で「志集」とし、「街頭こそ唯一の死に場所」という信念で立っているのだそうだ。

 その横では「命売ります」と乱暴に書いたスケッチブックの上、酒臭い息を吐きながら寝ているのは似顔絵界のダダイスト、キド・軍治だ。俺は彼からいろんな影響を受けているので、項を改めて描いてみるが彼の口癖は「親しくなるのはマッピラさ、親しくなるとお互い不自由になるからなぁ」であった。


 そこへこの熟睡しているキド・軍治も飛び起きるほど、ギターを鳴らし、マントラを歌いながらやって来たのは、花やビーズで着飾った数十人のヒッピー達の御入来だ。

 「我々は心の雑巾だ、汚い格好だが他を光輝かす」と襷をかけているのは、禅寺を墨染めの衣のままドロップアウトしてきたアキタであり、彼もまた似顔絵を描く人であった。この倉敷キリスト教会で再会する、お祭りポン太こと山田塊也や大坂・和泉橋本の七山に、俺や近畿大の連中と共に「七山小屋」を造ったチビグロ等の顔も見える。「ヒゲの殿下」とアダナされたナーガや、「新宿のランボー」と言われたナンダもいる。その彼と子持ちカップルになるミコやノン、ア等と猫みたいな名の女も混じっている。

2007/12/03(月) 倉敷にがおえエレジー 題92回
似顔絵の歴史・新宿、銀座編

 上野公園での仕事がすむと、夜は新宿へ行くのである。その頃の新宿は世界的詩人アレン・ギンズバークやゲリー・シュナイダー等やヒッピーの集まる「風月堂」も健在で、ジャズ喫茶も「ピットイン」「ポニー」「木馬」等あまた散在し、また頭だけの赤い丹頂鶴党(頭だけが赤い)が経営する歌声喫茶「ともしび」からはロシアの民謡が流れていた。まさに世は大量生産、大量消費を美徳とする風潮の頃より、新宿は群集の渦で、あらゆる欲望を貪欲に呑み込んでしまう街でもあった訳だ。

 ところがその頃より東口駅前の噴水広場にはロングヘア、ヒゲ、ビーズで飾り立てた異様な風袋の若者達が屯し始めるのである。
ここは通称グリーンハウスと言って壁には「自然に帰れ!」とか「イエスは神の原子爆弾なり」というような意味のわからぬ言葉もあるが「ベトナムから手を引け」「車を殺せ、子供も殺すな」という良識的な事も殴り描きしてある。

 この若者達は大量に物を消費する文化に背を向け、シンプルの中に心の豊かさを求め、別のもう一つの生き方を身を持って訴えていたのである。故に後、詩人になる山尾三省がアメリカのヒッピー新聞「オラクル」を真似た「部族新聞」を売っていたのもここであり、芸大出のクボゾノがジャクソン・ボロックばりの絵を売っていたのもここであった。

2007/12/02(日) 倉敷にがおえエレジー 題91回
前置きが長くなったがそんな折り、俺と同じようにドロップアウトした大道似顔絵師が多数出てくるのであるが、それでは関西方面の似顔絵師から紹介してみる。

 大坂・難波では二人で一枚の似顔絵を描く、自称・共産党員の人。梅田では美術研究所での先輩小林善幸、氏は福岡の人で後パリに行き、モンマルトルで似顔絵のボス的存在になっている。やはり名は同じく出雲出身の小林忠一、氏は俺が「宏プロ」を旗揚げした時の同士で、現在は梅田で「スマイル・フェース」事務所で活躍中。やはり「宏プロ」関係では松ちゃん、彼は現在「或る虫象」の漫画家。漫画家といえば淀川三歩も「宏プロ」出身で、本名は寺田といって月刊「ガロ」で活躍していた。熱烈なクリスチャンであった森君、以後、神道系の新興宗教教祖の女と一緒になり、現在は絵を止め布教中だが過日、教祖共々俺のところにやってきたのにはビックリした。
 「宏プロ」関係の紅一点、荒やんこと白土美代子、現在は女性週刊誌の売れっ子イラストレーター。
 
 他にも破壊僧であった団すすむ。吉田舜応氏。橋本。沖縄出身の新垣君。一枚の絵での売れっ子画家になった氏家氏。溝船君。独立美術の中沢君等いるが紙数が尽きたので次号へ雪崩込む。諒とされたし・・・・

2007/12/01(土) 倉敷にがおえエレジー 題90回
ここでの乞食原理はマルクスのいう共同体のたんなる「飢餓対策」等ではなかった。親子、兄弟、主従、眷属がホイト(乞食)と共に一つ鍋の物を喰って家々の幸福を祈ったのであり、ホイトの側からすれば「モライの生活」を続ける事が、すなわち「信心の業」であったのだ。
 あえて言えば、古くは空也や一遍、下っては西行や木喰もそうであり、僧の境涯に拘わらないならば良寛や芭蕉を加えても良く、彼等は世俗を捨て「野」に向かう意志がはっきり見えるのだ。

 近代では作家・幸田露伴の無銭旅、俳人・種田山頭火の雲水としての托鉢行脚、ダダイスト・辻潤の尺八門付け等も脱社会への偏向臭がする。

 戦後には作家・稲垣足穂は東京中野駅前にて、今東光は奈良東大寺前にて座り乞食を、黒岩重吾は大坂釜ケ崎で占いを、田中小昌実は露店商として全国を放浪している。

 このごとく昔から僧と芸術家には乞食、浮浪旅と因縁が深いのであるが、勿論名も知れないドロップアウトした、させられた乞食、浮浪者の方が大多数占めていたのは衆知の事実であるが、一般庶民もそれを認めていたから、当時の彼等には現代ほど乞食という生活形態には陰湿で暗い影はさしていない。

 例えば大坂・天王寺動物園前で似顔絵を描いていたおじさんは帽子に「お子さまランチ」に付いている万国旗を一杯なびかせ、「にがおえ」と書いた厚紙を肩からぶら下げ寝転んでいたり、ときには器用に石を積み重ねて、飯盒に入れた米を炊き、実に旨そうに喰うのだ。客があるとワイシャツ等が入っていた箱の白い所を色紙大に切り取り、赤と青が両サイトに付いている色鉛筆で描くのだが、ハーフトーンを出すために指に唾を付けてゴシゴシこするのだ。客は厭そうな顔をしてもおかまいなしで「ハイ、出来ました。貴女は可愛いのでカルダンの袋、奮発しちゃう」と言って、これも拾ってきた紙袋に入れて手渡すのだが確か値段は百円だったと思う。

その横ではヤットコと金切鋏でくるくる針金を折ったり、曲げたりして、レーシング・カーや小鳥を作るおじさんだ。それを買ったお客が何か言ったと見え、「これだけあれば何処でも行けるからねぇ」とヤットコと金切鋏を顎でしゃくって、
「針金はね、小学校の側の文道具屋さんに行くと必ずあるから、現地調達。焼酎代と宿賃を稼いだら後、何もいらないから、それだけやったら止め」その日もそれだけ稼いだとみえ、腰をあげると道具をしまい、その袋を肩に掛けると次の様なことをつぶやいて去って行った。

 「お客さん、人間なら何も身につけない様に、偉くならない様に努力すべきだねぇ。そうする事が本来の人間の務めであるはず。勝ち負けなんて単なる自己満足だよ」と。


 俺はその時、思った。人間の素朴な暮らしとは喰う、寝る、出す、祈る、愛するといった物だけが生存を続けるための緒行為とするならば、彼等は負け犬とレッテルが張られているが、彼等こそもっとも選ばれたる人間らしい人間と言えるのではないか。ところが我々がエゴを価値の源泉とした時から、あるいは我が者であると物に執着した刹那に縄バリが出来、国家がのしかかってきて我々は憂い、煩悶するのではないだろうか。

 更にいえば社会は個にとって虚偽の世界である。その虚偽の公に踊らされ、果てしない欲望の肥大化となって結局空洞化されていくのだ。俺はこの路線に乗るのは危険と感じた時、大道似顔絵師の道に入っていたのである・・・


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.