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2007/11/05(月)
倉敷にがおえエレジー 題77回
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「似顔絵と肖像画とどう違うのか?」お客からこういう質問をよく聞く。 「広辞苑」では「似顔絵」も「肖像画」も人の顔や姿に似せて描いたものとあるが、我々の仲間では「似顔絵」は漫画的(カリカチュア風)で「肖像画」写実的に丁寧に描いたものと定義しているが、印象派、立体派、フォーヴイズム、抽象の絵画を経験してきた今日では通用しなくなった。
例えば世界的な辞書「ブリタニカ」によれば「肖像画は他人による特定の個人のある一つの面の再現である」と。 この表現からいえば人物の忠実な画像はもはや問題にならず、ただある幾つかの面の再現にすぎず、それすらも、他人の眼を通してであり、とすれば主観的なものでありうる事がただちに想起されるのだ。
ピカソの「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」等は面と光の探求の組み合わせ、視覚のあらゆるまやかしを排し、作品を画家の感じる表象によって組み立てる事で、キュビイズムは印象主義とゴーギャンの二重の思索から抜け出ず、出来上がった作品は主題と人間そのものも消し去ることで自律性を獲得している。 これをもっとラジカルに捕らえてみると、壁に付いた染みとか、小道の砂利にでさえ、これが貴方の肖像であると言える事もありえるのだ。
昔、新宿に変わった似顔絵師が居て、彼は客を捕まえては「貴方は顔を描くより、足の方が貴方を表現している」と言って路上に腹ばいになって足を描くものだから、時々客に殴られていた。
ところで「肖」とは「似すがた」を意味し、プリニウスの博物誌によれば、恋人の姿を留めるため壁に投与された影絵が始原と言われている。故に「肖像」としてもっとも大切な事は、像主の外貌が客観的に写し取るが根源的なものであろう。思うに如何に狂信的な抽象主義の信徒でも、今後の人間社会に肖像画の用なしと言い切るものはあるまい。人間の姿が写真によってのみ伝わる事に、人がある寂しさを感じるで在ろうことは容易に想像され、肖像に限らず全ての絵画が抽象、非具象の一色に塗りつぶされるのに不満を感じる事は同じであろう。
さて西洋に目を転じ、問題を肖像画に限らずジャンルとしての意味でたんなる人物画にまで広げれば、文明が芽生えるとたちまち太古より、それがどんな荒削りなものであれ、石に彫られ、形作られ、刻まれ、あるいは物の上に描かれた人物画が現れる。 例えば最初の文明として知られるシュメール文明では紀元前四千年にシュメールの女人像が作られているが、我が日本の埴輪と同じく葬礼用であり、肖像画とは言えないだろう。後に古代社会に階級と権力が生じてきたとき、それらの象徴として形象が作られ、あるいは描かれてきたが、これらも個人の存在を表現するというよりは、それぞれの位階・身分を示す類型的形象であった。 やはり個人的特徴が描かれる様になるのは、日本の雪舟の出現と同じく十五世紀のルネッサンスからであろう。 この頃はブルジョア階級の勃興と、これに伴う個人の自我の確立にともなって性格を正確に示す細密なリアリスティックな肖像画が現れてきたのだ。
十六世紀にはティツィアーノ、デューラー等、個人の内面を洞察し、象徴的にこれを表現しょうとする精神性の深い肖像画が描かれるようになったが、この発展途上に十七世紀のレンブラント、ベルニーニなど、光と影の助力を得て精神性と時間性を示す個人表現は頂点に達するのだ。
また個人の精神性に価値を置く十八・九世紀にはいずれの国においても肖像画の全盛期であったが、十九世紀末の写真の登場が長い肖像の歴史を大きく変化させた事は絵に興味ある方ならご存知の事で、しかし、ここではここではあくまで似顔絵の歴史で肖像写真は黙殺する。
私の作品「自業像」
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