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2007/10/23(火)
倉敷にがおえエレジー 題69回
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「ワシもしばらく東京に住んでいる間に、精神も肉体も疲れさせ、荒らされて心のツヤを失ってしまった。これは危険だと思った。ここへ来たのはワシの自然を回復する事。
シンプルライフ。つまり素直で簡単な暮らしから心の平和を得られるのではないか。何より土に近い生活は精神的にも肉体的にも人間を健康にするし、それに孤独。人間は孤独において真の自我と存在の最も深い意義を見出すのではないか。まあ、こんな生活、君達から見れば現実生活からの脱落、逃避と言う消極的な意味しか持っていないように見えるだろうが、ワシにすれば一人集団から離れて山河草木の自然に自己を放つことが生の本源に帰一する生き方たと思っている」とまたまた談論風発・・だ。
・・・・とすれば前号で紹介したポンこと山田隗也氏のユートピアは団体としての自然との共存共栄であり、丸尾氏のユートピアは個人としての自然との共存共栄であろうか。
ところで古今東西、人は誰しも行ってみたい憧れの地、帰りたい郷愁の風景を持っているはずである。
たとえばウエルギリウスの「牧歌」以来、繰り返し歌われてきたアルカディアや、近代ヨーロッパの理想都市像として描かれたトマス・モアの「ユートピア」。あるいは我が東洋の桃源卿など、いずれ一作家の文学作品がきっかけとなって生まれ、やがて文化に深い影響を及ぼすことになった理想卿像であろう。 大正六年、作家・武者小路実篤がここ宮崎の日向に「新しき村」を創設したのも大いなる試みであった。
「自己を生かす」「自由」という言葉の解釈の違いより多々試行錯誤があったとはいえ、現在この実篤のユートピア社会主義は埼玉・毛呂村で経済共同体として「完全自活」に到達した事は、史上のあらゆる「ユートピア」の試みの中で異数の成果というべきであろう。
多くの空費と欠陥を乗り越え、文学的ユートピアが遂に一つの成果を獲得したのに大いなる感動を覚える者である。 何故ならばだ。今、我々は超管理抑圧社会の中で、人間の生きる根本的な条件ともいえる、そうした充足感すら変態的飽食文化が奪いさろうとしてる時代においてだからだ。
況や、この僅かな間に高度経済社会、環境整備の美名のもとに「地城」はほぼ崩壊し、家族は孤立無援になってしまい、その結果、生きているシステムの構造と機能の狂いが顕著に見え始めている時期であるからである。
しかし、その前を個々をアトム化され、バラバラに解体されたロンリークラウド達が立ちはだかった時「地城」崩壊の傷跡が想像以上に深いことに気ずき始め、ユートピアを目指して新しい共同体が誕生しているのを耳に聞く。
それが如何に泡沫のごとくにあったとしても、人々は己の傷つきを、不条理であったとしても安らぐことの出来る故郷とも呼べるような、心のスペースを探すため「帰りたい風景」を少なくとも自らの周囲に読み取り、描き続ける努力は一層必要であろう。
「ユートピア、それは明日の真理である」と言ったビクトル・ユゴーの言葉で結語とする。
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