美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/10/18(木) 倉敷にがおえエレジー 題66回
丸尾氏よりユートピア論を考える

 ニガオエを描いていると色んな人に出会う。今日もだ。若い男で顔、服装は整っているのに眼がうつろで、終始貧乏揺すりをしながら「エカキさん、この辺りで落ち着いた喫茶店、知りません?」と問うのだが、よく見ると手には五・六個の喫茶店のマッチを持っているのである。

 思うに若い頃は落ち着かない時期と云う時があるものだ。己がやすらうべき安住の場所が得られず、瞳に涙し、心は切ない憧憬をもって、腰を下ろす場所を求めるが、そう簡単には下ろさせてくれないのである。

俺も好きな絵を諦めさせられ、無理やり進学高校に入れられた時がその様な状態であった。
 故に学校をサボっては映画館に行ったり、一日中ジャズ・キッサで過ごしたり、車を暴走させたり、ついには阪大の心療内科に無理やり押し込められるのだ。

 もう一つは十四・五年も続いたニガオエ旅。ありてい言えば金を稼ぐだけの旅が日常性になってしまい苦痛になって来た時のことである。

 そんな折、ニガオエの先輩・丸尾という男が「人間は動物から機械に退化した・・」と言って、東京のニガオエ生活に疑問を感じたのか、彼の崇拝すべきソローに感化されたのか(ソローは十九世紀半ばマサチューセッツ州のコンコルドのはずれ、ウオルデンの森に自分一人で小さな小屋を建て、権力や情報支配に引きずられないシンプルな生活をした人)宮崎・日南の山奥にひきこもってしまうのである。

 その生活はあらゆる現実生活から一歩退き、それとの接触、参加を拒否し、一切の煩わしい人間関係の外側に身を置こうとするのである。
 それは自己の内的生活をなにより優先し、アウトサイダーとして、一度サッパリと単純なものにして、自己生活を再設計していく意味もあったのだろうと思う。
 彼にすれば彼と家族、己と社会、己と自然との関係を好きな家具作りを通して具現したかったのに違いない。


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