美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/10/14(日) 倉敷にがおえエレジー 題63回

俺はそれらの行為を見ているうちに、段々と背骨の隋までゆり動かされる様な衝動を感じてきた。

 孔子は「バクチでも良いから手足を使え」といったが確かに現代人は頭ばかりで生きる事を強いられ、それだけに執して暮らしているが、これでは発狂するか、自殺するか、また例えそうでなくとも、それに近い状態で暮らすしかないのではないか。そんな小賢しい知識人という奴ほどバカげて見え、乞食やそれに近いヒッピーの奴らに会うと羨ましく思うのは俺一人だけであろうか。

 イヤ、もう孔子等はどうでも良いであろう。いずれ人間は歴史上の聖人やキリストなんかよりゴリラに学ばにゃならん時がくる。「人間として」より『エテ公として」だ。俺は上着を脱ぎ捨て彼等の仲間入りして踊りまくった。それはあらゆる呪縛から自己を解放する為の意識であったか知らないが、フト、きずくと見物客も全員踊りの輪の中にあった。

 これは意識するしないに係わらず地球的な危機に目覚めた人々にとって、既製のイデオロギーや宗教は信じるに足りず、民族主義や国家主義はとっくに破産している事を感じ初めているのであろう。それらは余りにも人間中心主義だったが為に、自ら招いた危機に対処するだけの知恵も能力もない。それに対してヒッビー達の意識の進化を目指して生きてきたカウンター・カルチャの流れにこそ、サバイバルの可能性を読んでいるのかも知れない。


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