|
2007/10/30(火)
倉敷にがおえエレジー 題72回
|
|
|
「似顔絵漂流記出版さる」
俺は考えた。ユートピアン? ポンや丸尾氏のように、強い意志を持つユートピアンであればそれなりに立派だ。しかし、俺はそうじゃない。酒でも飲まなければ他人と話す事が出来ぬ、弱い情けないユートピアンだ。羞恥の狂言、凄惨な擬態を繰り返すユートピアンだ。まったく筋道も思想もない不潔の一句に尽きる矛盾だらけの男だ。又、どんな甘い夢を持ってしても、酒や女でも、それを押し静める事が出来ないものであった。
その矛盾をどのように解決するか。それには先ず己の内に一杯詰まっているものを明るみに取り出し、ハッキリと自分の眼で見届ける事ではないか。
全国を十数年ニガオエを描き跋渉した時の心情や見聞、色んな人達との出会い等、その一つ一つが俺との事項のつながり、互いの関係を明らかにする事によって、今までまったく混沌とした状態に置かれたまま出口もなく、迷路に嵌まり込んで己が打開できるのではないか。
己のなして来た行動をしっかり反芻し、それを正しく整理し、己の欲求が誤りなく発露する欲求が生まれてくるのは当然の事なのだ。キザにいえばその時は胸の内にあるものを全て吐き出してしまわなければ生きていけないと感じる瞬間であったのかも知れない。
また俺の半生のあらゆる矛盾を燃焼せしめて一つの物語りを展開し、そこに俺の過去を埋没させ、そしてその物語の終わる頃を俺の後半生の出発点にしょうという、言わば絶望を切り捨て、絶望の墓を作り俺はそこから生まれ変わるつもりであったのだ。
しかし、イザ書くだんになると一体何から手をつけてよいのか、まして文筆拙い門外漢がいくら気張っても原稿用紙はアクビをするばかりで、常に鼻先に「無謀」という字がチラつき、腰は砕け通しであった。
何回も挫折した末、ついには理想と能力は一致するものではない。俺は所詮ニガオエを描いて路上にひっくり返っておるしかないだと諦める矢先から、又「書け! 書け!」と一種の強迫観念に近いものに責めさいなまれるのである。それは実に激しいもので、どんな力を持ってしてもそれを押さえつける事は出来なく、又、どんな甘い夢を持ってしても、酒や女でも、それを押し静める事が出来ないものであった。
|
|
|
|