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2007/01/08(月)
40年前の美観地区日記より。 十二回
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なんでも岡山のF先生が「肖像画の手伝いをしてくれ」という話もある。そうだ、居を岡山に移し土・日ぐらい美観地区に行ってニガオエを描く。酒は少々に控え、女にも手を出さず聖人君子みたいなエカキになって倉敷の人々に愛されるのだ。そしてある日突然、ニガオエを描き終わった時、瞑目の後、即心成仏といこう。そこでだ、俺の葬式が始まる。男子一生、一度は虚栄の旗印を振りかざせと言ったのは太宰治だが、ここは俺の生涯通じてもっともドラマチックな一幕といきたい所である。それにはやはり寅さんにあやかって山田洋次演出風でいこう。
さあ、出発だ! 一番先頭の船には俺の棺桶だ。二番目は姉のサクラと兄の豊。そしてチモトコーヒー、点心堂ちもと、ちもと画廊、地本屋旅館等ちもとチエーン一同。ああ、バスク老や星の王子さまはその頃死んでかたずいている。後の三艘にはハッピ、鉢巻した阿智神杜氏っ子の威勢のよい若い衆、笛、太鼓、三味線の鳴り物入りで騒がしいことこの上ない。一方、土手の上では川西町あたりの綺麗どころ二・三十のスインキョウ踊り。天領太鼓も鼓膜がやぶれよと鳴り出し、それが合図か五艘の船が一切に倉敷川を下りだした。エンヤドットエンヤドット、岡崎さまのヨォーーー向山と鶴形山で今や遅しと待っていた花火屋が大筒におもいをこめて火をつけた。スーススス、パパパパー・・・・・・・パーーッと散ってパーラパラパラ。 それを見ていた観光客が隣のオヤジに「今日はお祭りだっか?」と聞いておる。「なにっ、ボッケーアル中のニガオエ描きが死んだだけじゃ・・・」答えるオヤジに心なしか目尻に光るものがある。パパーパーン、パーン空中で割れた花火より無数の一万円札が花開く。大道で得たモノは大道へお返しする、それが俺の持論だ。足腰まがったジィさんもミンクのコートを着た御婦人も、店員も主人も駆けつける。そこには平常の取繕った顔も姿もない、己が心の開放があるだけだ。さきほどのオヤジも例外ではない。やっとの思いでヒラッタ紙には「面白しくない世の中を面白くするのが人間のつとめじゃ」と書いてあり、そして隅に小さく「あの世にも旨い酒と粋な女はいるかしら・・・」 そんな騒ぎの中、五艘の船は下がっていく。その先にある市営粗大ゴミ焼却炉の煙突が、勢いよく真っ黒い煙りを吐き出した・・・・・・・・実に明るい朗らかな青空である。
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