美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/01/04(木) 40年前の美観地区日記より。 八回
C 雨降って地流れるニガオエ師


「美観地区とは名の示す通り、白壁や美術館だけをさすのではない。ポイント心の風土てある。そこには当然、人とのかかわり合いがからんで来なくてはならない」これは美観地区で酒屋を営む老刀自さんの言葉である。

 たしかに初めて倉敷に来た俺にとっては白壁や美術館より、何より嬉しかったのは自称バスク人の子孫や星の王子さまに会ったことである。それは極言すれば一陽めぐり来たって万物蘇生の気分でもあった。何故ならばこの画一化した世の中に異色ある人物が段々と跡を絶ち、いわゆる良識ばかりの発達した同じような人間ばかりになれば、世の中は退屈極まりないものになるからである。それに帰途ゴミ箱に首を突っ込んでいた乞食氏を見たことであつた。大道ニガオエ師は知らない異国の土地をの人情を乞食の有無において推し量るのだ。我々の経験からいうと乞食のいる町はニガオエが描ける。それだけ町の人の心にゆとりがあるという証てあろう。ところが誰でもウスウス感じていると思うが生活環境が整備されるということは必ずしも幸福につながっていないという事である。人間が築く建築、主義、政治、宗教運動の底にはそれがどのような立派な町であり、良き運動であろうとも獣的な利己心、優越性に対する酷いあさましい我欲の念か動いているはずである。それはあくまで虚態の繁栄の社会なのだ。その社会の表層から隠蔽されたモノを人々の眼前に引きずり出し、秩序の仮面の下からカオスを涌出させる者が乞食といえる。バランディユ風に言えば「心理学的な儀礼の偉大な司祭」と呼ばれる所以である。故に乞食の姿なき町は滅びる・・・・色んな妄想、幻惑、放屁。ウトウトしていると瞼の裏が突然、真っ赤になるではないか・・・・


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