美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/01/30(火) 40年前の美観地区日記より。 三十四回
 ところでその頃の日本は東京オリンピックが終わり、万博に向け高速道路、ビル、新幹線等の建設ラッシュで日本列島がのたうち廻っていた。

 その反動であろう。小田実氏がベ平連結成、反日共系学生、反戦デー新宿駅占拠。三島由紀夫氏、自衛隊で決起演説、賛同得られず総監室で割腹自殺。機動隊、東大安田講堂の全学共闘派を強行排徐、樺美千子氏死亡。

 とにかく何が起こっても不思議ではない時代で、それが新宿の文化的な爛熟期だったのだ。管理社会の圧力に潰され、根こそぎにされていく、最後の花を咲かせていたのだ。
 故にどんな下手くそなニガオエ描きにも、常時三・四名以上の客が付いたものだが、その前を今までの乞食でもないフーテンでもない、一種独特のムードを漂わせた若者達を眼にする。

 これがサカキ・ナナヲ、加藤鋭、山尾三省氏を中心にする我が国でのヒッピー・ムービメントの始まりだったのである。しかし、豊潤たる花は落ちるのも早い。決定的にしたのは68年の「新宿騒乱事件」で警官は市民や学生に襲いかかり、フーテンや浮浪者を検束していった。

 これを期にニガオエ描きの大半が旅に出、ヒッピー達も新宿から出ていき、新宿から人間の匂いが完全に消えたのだ。
 「乞食の消えてしまった町は、もはや人間もなく、祭りもない」と劇作家・別役実氏は言ったが至言で哀れにも新呪区と為り果てるのである。


写真は七ケ国で挨拶するサカキ・ナナオ氏(ニューヨークにて)


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